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リチャード・ジュエル、ナイト・オブ・シャドー、マイライフ・アズ・ア・ドッグ、ジョジョ・ラビット [映画]

リチャード・ジュエルを観た。
1996年のアトランタ・オリンピック開催中に起きた無差別爆破テロ。不審物を最初に発見し被害を最小限にとどめた警備員のリチャード・ジュエルはマスコミによって一躍ヒーローとして祭り上げられるがFBIの捜査対象となった事で立場が一転する。

ネタバレ有。

クリント・イーストウッド監督最新作。2010年代は実話をベースとした作品を撮り続けた。
現実の世界でヒーローと呼ぶに相応しい人達がスポットライトを当てられ、ライトに照らされる事によって作られる闇も描く。闇を描くといった所はイーストウッド監督の一貫したテーマ。
その闇に取り込まれる事なく、かと言って闇の存在を全否定するのではなく誰の心にもいつの社会にも闇は存在するけどそれに取り込まれちゃいけないよと。
本作の主人公リチャード・ジュエルも母親や仲間、友達と共に闘う。その姿がカッコ良かった。

本作はリチャード・ジュエルがFBIの捜査対象になっている事をスクープした女性新聞記者の行動の描かれ方が問題になっているらしい。アメリカではSNS上でボイコット運動も起こったとか。
ワーナーブラザーズは情報源が有ると言っているらしい。しかし女性記者は既に亡くなっていて反論が出来ない状態。と、ウィキペディアにはあった。
一ファンの立場で観てしまうのでああいう風にしたのはモラルの欠如という所を表したかったのだろうと解釈している。でも女性記者は現実に存在していた人で、メディアリンチの醜悪さを描いた作品でメディアリンチを助長しかねない表現をしてしまったのは確かに問題は有るだろうと思う。
映画好きとしてそれより問題に思ったのは、女性記者が取って付けたような改心をした事。実際に改心したのかもしれないけどあんな取って付けたような改心では説得力は無いと思う。
それも含めて女性記者個人を貶めるためではなく、女性記者の姿を通してマスコミメディア全般を描いていたのだとしたらどうなのだろう。モラルの欠如と主義主張の無い日和見主義という痛烈なマスコミ批判。
一方でFBIの人は職務として最後まで憎まれ役を全うしてその事がより強調される。

決着がついた時にリチャード・ジュエルが口にするのはドーナツ。ベーグルかもしれないがドーナツ。やっぱりイーストウッド映画の刑事はドーナツ。ルーキー。リチャード・ジュエルが正義のために闘い抜いた姿は彼が憧れる理想の刑事像に匹敵する。という事だと勝手に理解する。でも号泣しながら食べるのがリチャード・ジュエルらしい所。
本作の鑑賞後にはドーナツではなくスニッカーズ食べた。



ナイト・オブ・シャドー 魔法拳を観た。
悪い妖怪を成敗するプウ。その顛末を小説として書き残し販売もしていた。若い女性を誘拐する妖怪が現れるとその妖怪と因縁の有る一人の青年も現れる。

ナイト・オブ・シャドーのナイトはナイトライダーの方のナイト。ときめきトゥナイトの方のナイトだと思っていたが影の夜って意味が分かる様な分からない様ななのでなんかおかしいなとは思っていた。 

中国の時代劇ファンタジーアクション。アクションシーンはCG、エフェクト多め。ジャッキーもかつての様な体を張った大きなアクションはやらないが、何気ない動きの中に偉大なアクションスターの姿が感じられる。
それでも地獄の門での低重力アクションの撮影は相当大変だったんじゃないかと思う。恐らく長時間ワイヤーで吊るされて、カメラの動きも複雑だったし。その結果見応えのあるシーンになっていた。

お話は幸せとは誰かによって決められるものではない。という事が言われていたのだろう。人それぞれ妖怪それぞれの幸せの形が有って、悪気は無く良かれと思って幸せを押し付けてしまうけどそれがその人(妖怪)の望む幸せとは限らない。幸せのゴリ押しをし過ぎると反発して地獄の門でえらい事になります。

護衛兵のチン三兄弟として出ている人は本当に三兄弟なんだろうか? 一人三役だとしたら恐ろしく手間がかかっているが。
本当に三つ子だったとしたらパシフィック・リムに三つ子の人が出てたなあと思って調べてみたら同じ人たちだった。この後はジャッキーとシュワちゃんの共演作品にも出ているらしい。

イーストウッドとジャッキーの作品が同日公開。こんな豪華な組み合わせかつて有ったでしょうか。有ったのかもしれない。面倒臭いので調べない。
ダーティハリー5でイーストウッドとジャッキーがバディを組む可能性も有ったという話は有名。
ダーティハリーよりルーキーの方がジャッキーには合ってるかもしれない。考えてみればこのナイト・オブ・シャドーもベテランとルーキーの組み合わせでもある。
久し振りに聴いて思い出したがルーキーのテーマ曲は渋くてカッコいい。




マイライフ・アズ・ア・ドッグを観た。
1950年代のスウェーデン。弟イングマルと兄エリクはやんちゃ盛りで常日頃病気がちな母を怒らせていた。

一昨年8月のペパーミント・キャンディ以来久し振りの早稲田松竹にて。

1985年の作品で日本での公開は1988年の12月という事。多分レンタルビデオで観たので1989年くらいに観て以来。
無邪気という所がテーマのように思えた。人生にはつらい事や悲しい事も起こるけど、それを乗り越えるのには子供も大人もある程度の無邪気さが必要。それが人生の極意。

主人公を演じた人は今どうしてるんだろう。と、名前アントン・グランセリウス Anton Glanzeliusで画像を検索してみるとあの頃の面影をしっかりと残したまま大人になっていた。俳優業はやっていないみたい。
女の子メリンダ・キナマン Melinda Kinnamanは女優を続けている。こちらも画像検索してみるとやっぱり面影がある。実の弟さんは三代目ロボコップのジョエル・キナマンだとか。



ジョジョ・ラビットを観た。
第二次世界大戦、敗戦濃厚なドイツ国内。ナチスの青少年教育組織ヒトラーユーゲントに加入した10歳の少年ジョジョ。

池袋シネマ・ロサにて。

予告の印象ではもっとふざけた感じなのかと思っていたがそんな事は無かった。
やはりナチスドイツを題材にして描くにはあの程度のおふざけでもギリギリセーフのラインなのだろう。
もし本国ドイツでこの様な映画を作ったらアウトなのかも。それくらいデリケートな題材。

マイライフ・アズ・ア・ドッグと色んな所で共通点が有る様に思えた。だからこの時期に早稲田松竹さんは上映したのかも。

ジョジョとジョジョの2番目の親友のぽっちゃり君のコンビはサイモン・ペグとニック・フロストの様だった。
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