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最後にして最初の人類、共謀家族 [映画]

最後にして最初の人類を観た。2020年、アイスランド、1時間11分。
時空を超えて二十億年未来の人類からの通信が届く。

映像化不可能と言われてきた映画タイトルと同名の古典的SF小説を映画化。
未来人によって語られる二十億年未来の海王星移住に適応するために姿を変えた人類の姿と地球とは異なる海王星のロケーションは確かに映像化は難しそう。やって出来ない事も無いだろうけどかなりの映像センスがある人でないととんでもない大事故が起きそう。
本作ではそういった所謂SF的な見所の映像化は潔く見切りを付けて実在する特異な建造物と幻想的な風景の映像、それに合わせた音楽、音楽と言うのか複雑な音の重なりと言うのかそういったもので海王星の原風景的なイメージを想像させる。
なので見た目はアート映画という事になりそうだけど語られる物語がものすごいSFなので興味が途切れる事なく観られたし、映像と音楽が海王星のイメージも壮大なSFストーリーも盛り上げてくれる。小説の読み聞かせをされている様な感覚。

結局未来人は助けを求めて通信してきたのに何をして欲しかったのかが不明だけども、思うに人類の最後を知って欲しかったのではないだろうか。人類の全てが最後を迎えるという事はその最後は誰の記憶にも残らないという事で、誰の記憶からも失くなってしまった時が本当の最後であり、時空を超えた現代人の記憶に残す事によって本当の最後を回避したと。そういう事なんではないかなあと理解したので、全然見当外れなのかもしれないが納得は出来た。
タイトルの意味は今イチよく分からなかったが現代人の記憶に残った事でまた別の人類に生まれ変わったという事か。
別の新しい人類という意味では未来人の声にティルダ・スウィントンをキャスティングしたのは大正解だったと思う。勝手なイメージとして今でも他の人類とはかけ離れているような存在でもあるし。誰とも変わらない至って普通な日常生活をしているだろうけど。

それと人類の歴史は宇宙からしたらほんの一瞬のちっぽけなもので、そんなものはいつ跡形もなく消え去ってしまってもなんの不思議もない。本作では太陽の大きな変動によってだけど実際にはほんの少しの変動でも相当大きな影響が有るのだろうと思う。
だから人類の不遜な行動によってその可能性を少しでも高めるような事はせずに謙虚に生かされていきましょう。といったメッセージも込められているのだろうと思う。



共謀家族を観た。2019年、中国、1時間52分。
中国からタイに移民してきたリー・ウェイジエは幼い頃に両親を失くし孤児として生きてきたが現在では家族を持ち、雇用者は一人ながらネット回線業の会社社長でもあった。慎ましく生活する一家にある事件が起きた時、無類の映画好きであるリーのこれまで培ってきた映画からの知識で一家を救おうとする。

ネタバレ有。

どこかの国の映画の中国リメイクとだけ知っていてタイが舞台だからタイ映画なのかと思っていたがインド映画をタイに舞台を移してのリメイクという事だった。
ちょっと大袈裟だなあと思える演出も有ったりしたがそこら辺もオリジナルを意識したのならば納得ではある。
映画好きの知識を活用した完全犯罪は成功するのか。といった所のサスペンスは楽しめた。やっぱりただの映画好きではなく、映画から何かしらの知識を得ないといかんなと反省したり。特に語学。どれだけハリウッド映画を観ても英語が全く身に付かないのはどういった事なのか。

最終的に道徳心を重視した決着を付けてしまうのは中国映画だからなのか、それともオリジナルがそうなのか。
道徳的にも仏教的にも中国共産党的にもそうする事が正しいのかもしれないけど、じゃあサスペンス映画としてのそれまでの1時間何十分はなんだったのかと映画好きとしては思えてしまう。
エンドロール中の主人公のカットはその正しくせざるを得ない事への反抗だったりもするのか。
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