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物欲

女性セブンの付録のシール
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イケメンスナックに付いているイケメンカード
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ミュージアム限定だけど渋谷パルコの4階でも売っている(3月いっぱいまでらしい)。

チョコビのシール
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カンタム・ロボソフビ
https://p-bandai.jp/item/item-1000144398/?spec=pc11&cref=1578610215&click_recom=1
ソフビシリーズのcoming soonが気になる。流れ的にはぶりぶりざえもんかと思うが裏をかいてワニ山さんも有り得る。と言うかしんちゃん出せば必ず一番売れると思う。

大猿ベビーだけ欲しい。
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レ・ミゼラブル、ラスト・ディール、ラピュタ、ロングデイズ・ジャーニー、ジュディ [映画]

レ・ミゼラブルを観た。
サッカーワールドカップ優勝に沸くフランス。パリ郊外モンフェルメイユに赴任してきた一人の刑事は勤務初日でその街の実情を知る事になる。

街を取り締まる刑事がいて、街を牛耳っている実力者がいる。双方はお互いに持ちつ持たれつの関係でありながら、刑事は実力者を卑下し実力者は刑事を憎んでいる。
実力者におもねらないフランス人イスラム教徒の集団、警察側に付くグループ、更には流浪のジプシーも加わり危ういパワーバランスを形成しているが一つの事件をきっかけにそのバランスが崩れそうになった時に新たな強力な力を持った集団が現れる。
その新たな集団はその街の実情から必然的に現れた。その実情を作り出している大人たちによって生み出されたとも言える。その事がヴィクトル・ユゴーの古典レ・ミゼラブルの一節で言い表される。
古典のレ・ミゼラブルは過去に映画化されたのを何回か観たけど内容はあまりよく理解出来ていない。本作は現在のフランス(ヨーロッパ全体とも言えるのかも)の状況を映し出した作品になっていて古典とは直接的には関係ない様に思えたけど、古典からの一節の引用で時代の違う二つの作品が大元の所でしっかりとつながっているのだろうと思えた。
作品としては語り切れていない所も有るとは思うが敢えて多くを語らない事によって先の読めない物語にもなっていた。いい映画だった。



ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像を観た。
フィンランド。家族を顧みず仕事に打ち込んできた老美術商。オークションの出品作品の中に名画を見つけるがそれが名画である確たる証拠を探し出さなければならなかった。

どこの国の話なのか最初分からなかったけどフィンランドだった。最近ではヘヴィ・トリップ俺たち崖っぷち北欧メタルや、オリ・マキの人生で最も幸せな日などもフィンランド映画。フィンランド発の人気ゲームのCGアニメ化アングリーバードの続編はひっそりと公開されて、上映劇場には行ったので観ようと思えば観れたのだけどまあいいかと思って別の映画を観た。

美術品を題材とした蘊蓄エンターテインメント的なものを想像していたけど、そういう感じの所もあるが長年に渡って家族を蔑ろにしてきた主人公がそれを改める機会を得るが…。というヒューマンドラマなお話で苦さと優しさが有ってこれはこれで良かった。

おじいちゃんエプロンが見られる作品。おじいちゃんエプロンと言えば宮崎駿監督の制服姿と言っても過言ではないが、宮崎駿監督は実務的な意味での着用に対して本作の主人公は可愛さ目的での着用。



天空の城ラピュタを観た。
空から降りてきた少女と出会った少年。その出会いから太古の超文明の謎を解き明かす大冒険が始まる。

映画のまち調布 シネマフェスティバル2020にて。

テレビで放送されるのは観ていないので相当久し振りに観る。
パズーのシータ逆さキャッチは日本のアニメーション、日本映画は優に乗り越えて全映画史に残る名シーンだなと改めて思う。
ただ単に逆さキャッチがカッコいいという事だけではなくて、そこに至るまでのパズーとシータ、そしてムスカ、ドーラ、ロボット兵それぞれの関係とドラマの過程が有って、そしてあの時点でのドラマの最高潮での逆さキャッチ。スピード感もタイミングも最高で本当に素晴らしい。

ムスカ大佐役の寺田農さんは声優としてのお仕事はあまりしていないみたい。その中で代表作と言える役に出会えるのも実力が有っての事だろう。
将軍役の永井一郎さんはやはり素晴らしい。ダイス船長、ジョドー、ミトじいと宮崎アニメでも印象に残る役が多かった。
親方のおかみさん役は鷲尾真知子さん。錯乱坊とサクラ。

シータはパズーに滅びの言葉をどの様に伝えたのか問題は気になるところ。
日常生活において使う機会がなく、かつ意味の無い言葉を他人に伝えるのは僅か三文字とはいえ相当難しい事ではないかと思う。しかも直接その言葉を言ってはいけないという制約もあった上で。



ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへを観た。
家を出ていった母親、幼馴染の友達、忘れられない女。男の断片的な記憶が3D映画で一つにつながる。

映画が始まって1時間9分後から3D上映になるというトリッキーな作品。せっかくなので3D上映されている所で観たがとにかく客席内が寒かった。底冷えする寒さで座った場所が悪かったのか時折冷たい風も吹いてくる。物語が冬至の頃の話なのである意味4DXと言えるのかも。渋谷の某映画館にて。
3D効果はほぼ感じられなかった。でも2Dで観たら3Dで観たらどうだったんだろうときっと思うはずなので3D効果は全く無かったという事が分かっただけで3Dで観て良かった。

映画とはなんなのか。映画とは記憶の断片の集合体である。という事が仰られているのではないかと思う。それを後半1時間ちょっとをワンカットで見せきる。正真正銘のワンカットで途中出演者がカメラに映っていない所で移動しているために息切れしている所も有ったりする。
カメラ据え置きではなく一つの町の屋内屋外を動き回る。これ3D効果が感じられたら本当に凄かっただろうなと思える。



ジュディ 虹の彼方にを観た。
かつてハリウッドの大スターだったジュディ・ガーランドが亡くなるまでの数ヶ月。

ジュディ・ガーランドの事をほぼ知らないのでこの映画を観た限りでは結局彼女が望んだのは舞台の上でスポットライトを浴びる事でありその人生を全う出来たのだから幸せだった。と思えてしまうが映画を観た後で少しだけ彼女の事について調べてみると子役時代の彼女に周りの大人たちがした事が酷過ぎて引く。この映画で彼女は幸せだったとするのはその大人たち(それは当時のハリウッドの映画業界という事になるのだろうけど)がした事を彼女の才能を伸ばす手助けをしたという正当化になってしまっているのではないだろうか。

当時の映画スターと言えば今とは較べものにならない天上人くらいの感覚なのではないかと思う。そのスターの座に就くためには才能とか実力とか以外のものが必要だったのかもしれない。それには何かを犠牲にしなければならず、その覚悟をした者だけがスターになれたのかも。
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