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スーパー・マッチョマン/コーンフレーク大作戦 [映画]

スーパー・マッチョマン/コーンフレーク大作戦を観た。アメリカ、1975年、1時間32分。
財政状況の厳しいメッドフィールド大学。学長は運営委員会に予算の緊縮を命じられ飼育牛用のビタミン剤を開発中の研究室の閉鎖を決める。その時偶然に筋力を格段にパワーアップさせるコーンフレークが生まれ、そのコーンフレークを食べたデクスターに強力なパワーが漲る。それを知った学長はコーンフレークの製造元に売り込みをかけ、製造会社の社長は業界トップのライバル社にトップの座を賭けた重量挙げ対決を挑むが社内にはライバル社に通じているスパイの存在が有った。

allcinemaやウィキペディアでは『世界最強の男』の邦題のディズニーの実写映画。
カート・ラッセルが主役で出ているという事で観たが意外と出番は少なかった。しかしクライマックスでは大活躍。1,111ポンド(約503キログラム)のバーベルを持ち上げる時の力んだ表情は『バックドラフト』を思い起こさせる。『デッドフォール』や『エグゼクティブ・デシジョン』でも力んだ表情は見られたような気がする。言わばカート・ラッセルならではの顔芸でありその顔芸はもう20代の時に生まれていたのを知れた。

カート・ラッセルは子役でデビューし、子役時代には10本近いディズニー映画に出演していたのだとか(ウィキペディアより)。しかし本作の時には24歳くらいで子役とは呼べない。
本作は『テニス靴をはいたコンピューター』(1969年)、そして『そら見たぞ、見えないぞ!』(1972年)の続編になるらしい。カート・ラッセルはデクスター役でその3作品に出演。確かに作中にも前に何か有ったのかなあと思える描写も有ったりした。
カート・ラッセルは1970年代に野球のマイナーリーグで選手としてプレーしていて、お父さんが球団の社長で確かカート・ラッセルも球団の経営にも携わっていたという事はその事が描かれているドキュメンタリー映画『バタード・バスタード・ベースボール』(2014年)で観た。しかし、野球選手として活躍していたのがいつ頃なのか本作以前なのか以降なのかは分からない。
本作の後エルヴィス・プレスリーを演じた『ザ・シンガー』(1979年)でジョン・カーペンター監督と仕事をして、『ニューヨーク1997』(1981年)や『遊星からの物体X』(1982年)などが作り出される事となる。

1970年代、それ以前も有ったのかもしれないがディズニーの実写映画はほとんど観た事が無かった。全く観ていないかもしれない。ファミリー向けのドタバタコメディといった所が基本路線の様。感覚的には昔の奥様は魔女やがんばれベアーズなどのテレビドラマシリーズに近いような感じがした。
ファミリー向けドタバタコメディとしては問題ないが現在では本作はスポーツのドーピング問題にがっつり引っかかってしまうので有り得ない話になってしまう。
SFXと言うかこの時代だと特撮と言った方がしっくりと来るが、その特撮の出来がいいのはディズニーならではなのかそれともハリウッド映画全般のレベルが高かったからなのか。


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ショウビズトゥデイ 1992年6月20日 [ショウビズトゥデイ]



全米映画興行成績ベスト10
"HOUSESITTER" 『ハウスシッター/結婚願望』
が初登場。


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アン・アーチャー 『パトリオット・ゲーム』
フィリップ・ノイス監督 『パトリオット・ゲーム』

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