宇宙(そら)へ。 [2009年9月に観た映画]
『宇宙(そら)へ。』
“ROCKET MEN” (2009・イギリス) 1h38
製作総指揮・監督 : リチャード・デイル
ナレーション : 宮迫博之
宇宙へのフロンティア・スピリッツ。
そのスピリッツには脱帽するしかないですが、今年の1月に観た『ザ・ムーン』と内容が被る所も有り、なんかどっかで見たなぁ。という思いで今イチ集中できなかった。
と言って『ザ・ムーン』の事をどれだけ覚えているかというと、ほとんど覚えてはいないのだけど。タイトルも忘れてた。
成功した時のロケット打ち上げは美しい。
燃え上がる炎、ボワッと広がる水蒸気、ガスを噴射してロケットがゆっくりと上昇をはじめる様。
失敗した時の爆発も凄まじい。有人飛行で無ければどこかで爆発を期待してしまうのは何故だろう。
物足りないのは当時宇宙開発でしのぎを削っていたソ連の情報が無い事。
やっぱりライバルがいたからこそ飛躍的に開発が進んでいったのだろうし。
それにライバルがいた方が物語として面白い。
公開は吹き替え版のみ。
と言っても吹き替えはナレーションのみで、当時の映像の音声は字幕。その字幕が結構多い。これを吹き替え版と言ってもいいものだろうか?
吹き替え版という事でまだ漢字を読めなさそうなチビッ子を連れた親御さんも居られました。
まぁチビッ子だからロケットやスペースシャトルが見れれば満足なのかもしれないけど。
もう一つ不満なのは、エンディングで日本版の主題歌が流れるのはもう慣れたけど、その主題歌の尺に合わせてエンドロールがゆっくり流れていたように感じられた事。
別にその主題歌が聞きたくて本作を観たわけではないので本末転倒に思えた。
しんぼる [2009年9月に観た映画]
『しんぼる』
(2009・日本) 1h33
監督・企画・脚本・出演 : 松本人志
脱出不可能?な部屋に閉じ込められた男に奇想天外な運命が待ち構える。
ネタバレ有り。
これはコメディなんだろうか?コメディとして観るべきではないのかもしれない。
最終的に松本さんの運命論、哲学が語られる。そういう映画として観るべきなのかもしれない。
それともやっぱりコメディで、コメディで運命論や哲学が語られてもいいじゃないか。笑いがベースに有りつつそこからここまでの高みに登ることが出来るのだ。というコメディの新たな方向性を示しているのかもしれない。
笑いに生きる、芸人・松本さんの笑いへのプライド。そんなものを感じさせる。
松本さんの運命論は、森羅万象全ての物の成り立ちやその終わりは、どこかにいる誰か一人の手によって決まっているのかもしれない。という所だろうか。天使のしんぼるによって。
その誰かを神と呼ぶのかもしれない。
その神かもしれない誰かを松本さん自身が演じている事が誤解を呼んでしまうかも。松本さん=神。と思い上がっているのではないかと。
そうでは無くて全ての運命が誰かの手によって決められている。その誰かが前半の脱出ゲームで散々バカな事をしてきた誰かである。(正直な所脱出ゲームでのバカさ加減には笑えずにイライラしてしまいました。松本さんってもっと頭のいい人だろうし。)
そのバカが全ての物の運命、未来を決める。というある意味恐怖が本作のオチなのだろうと思う。
だから敢えてバカをよりバカらしく、バカに徹したのではなかろうか。
恐怖と笑いは紙一重で、そういうコントも数多く作ってきた松本さんらしい。
松本さんの映画で観たいのは『大日本人』の続編、『3』か『4』。
『ごっつええ感じ』のコントも回を増すごとに面白くなっていった。それは逆に言うとコントの1回目はそれ程面白くない。
あるシチュエーションを作り出し、そこから飛躍し、それを壊し、別のものを作り出す。
その事に関して松本さんは本当に天才だと思う。
だから『大日本人』の続編を是非観てみたい。
メキシコパートも松本さんが監督しているんだろうか?
普通に映画として上手い。特にプロレスのシーンの撮影、編集が上手い。
機動戦士ガンダムⅠ、Ⅱ 哀・戦士編、Ⅲ めぐりあい宇宙編 [2009年9月に観た映画]
『機動戦士ガンダムⅠ』
(1981・日本) 2h17
総監督・原作 : 富野喜幸
声の出演 : 古谷徹、池田秀一、鈴置洋孝、井上遥、白石冬美、飯塚昭三、古川登志夫、鵜飼るみ子、鈴木清信、永井一郎、森功至、戸田恵子、倍賞千恵子
宇宙世紀0079。ジオン公国を名乗る宇宙移民が地球連邦政府に対して独立戦争を起こす。
恐らくテレビ放送時にはロボットアニメの体裁でテレビ局やスポンサーを騙くらかして、実は戦争モノを作っていたのだと思います。
それが映画になり、体裁を取り払い正真正銘の戦争モノになっていました。
是非聴きたかったテレビ版の主題歌が流れないのは、これはロボットアニメではない。との決意表明ではなかろうか。
本作のエンディング曲「ライリー、ライリー、ライリーリラー」(『砂の十字架』)。終わり方が何故かのフェードアウトでものすごく寂しかった。
ギレン・ザビの演説を締めに持ってくるのが構成としてものすごく上手いなぁと思っていた後だったので、より寂しさを感じずにはいられませんでした。
日本の映画やテレビドラマに有りがちな反戦メッセージは控えめで、いざ戦争の渦中に置かれたらつべこべ言わずに戦うしかないのだ。という現実的な戦争を描いてみせる。
それは仮想の戦争だからこそ戦争の現実的な側面が描けるような気がする。
その戦争の中で成長し、才能を開花させてゆく主人公アムロ。
10代半ばゆえにその成長過程にはイライラさせられますが、戦争の中でしか才能を開花させられない。ってのはある意味悲劇のヒーローのように思えてきました。
そのアムロに淡い恋心を抱くフラウ・ボゥ。
それに全く気づかないアムロは「マチルダさぁ~ん!」とか「ララァ~!」とか言って、あっちフラフラこっちフラフラ。
フラウ・ボゥ可哀そう。
だけど、恋心が実らなくて良かったのかも。1年戦争後のアムロがどうなったのかよく知らないのですが(フラウ・ボゥがハヤトと結婚したのは知ってる)、結局父親と同じような周りを顧みない自己中心的な人生を送りそうな感じ。
実際に実物大のガンダムを見たので、登場するメカのスケールが想像しやすくなりました。
ホワイトベース、ムサイ、ガウ。恐ろしくデカい。
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『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』
(1981・日本) 2h14
総監督・原作 : 富野喜幸
声の出演 : 古谷徹、池田秀一、鈴置洋孝、井上遥、白石冬美、飯塚昭三、古川登志夫、鵜飼るみ子、鈴木清信、永井一郎、戸田恵子、間嶋里美、塩沢兼人、井上真樹夫
正に哀・戦士といった内容。バッサバッサと人が死ぬ。それが戦争という事なんだろう。
やはりミハルのエピソードは泣ける。
VSランバ・ラルの白兵戦はアニメとは言え観ているのが辛い。
そんな中カツ、レツ、キッカのエピソードはほっと一息抜けた。
ブライトのカリカリ、イライラが分かる様になってきた。
上からは詳しい作戦内容を知らされないまま危険地帯を突き進めと命令され、下は下で自分勝手でやりたい放題。中間管理職の悲哀ここに有り。
セイラはなんか怪しいし、アムロはガンダム持ってっちゃうし、ミライにはフィアンセいるし。
ブライトこの時19歳。そりゃあカリカリするしイライラもする。
哀・戦士とはブライトの事なのかも。
失礼ながら作画的には笑える所多数。主に前半のモビルスーツの場面。
今なら『ボトムズ』みたいにCGも可能なのかもしれないけど、笑えるとは言え手描きで味のあるロボットバトルの魅力は捨てがたい。
本当に失礼ながら良く出来たパラパラ漫画を観ているよう。その手作り感が魅力的。
そんな中でパラパラ漫画ではなく、アニメーションになっているロボットバトルを見させてもらった時は思わず感動。
ホワイトベースの性能にはただ驚くばかり。
ミノフスキーなんとかで飛んでいるらしいですが、普通に飛んでるだけで驚きなのに背面飛行はするし打ち上げ無しであっさり宇宙に行っちゃうし。
でも宇宙にスペースコロニー作れるんだから、ホワイトベースにそれぐらいの性能が有って当たり前なのかもしれない。
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『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』
(1982・日本) 2h21
総監督・原作 : 富野喜幸
声の出演 : 古谷徹、池田秀一、藩恵子、鈴置洋孝、井上遥、白石冬美、古川登志夫、鵜飼るみ子、鈴木清信、永井一郎、井上真樹夫、柴田秀勝、田中崇、小山茉美、玄田哲章
ララァ登場。によって宗教的側面が見えてくる。ララァ教祖。
「ニュータイプ教」って現実に存在してもおかしくなさそう。アニメーションから宗教が生まれるって日本らしい。
宇宙に移民する事によって地球での争い事が少しは減ったんじゃないだろうか?しかし宇宙に移民した事によって人類史上最大の戦争が起こる。
宗教と言うか価値観の相違が悲劇を生み出す。
人間って愚か。コロニー落としなんて愚の骨頂。
3作目で宗教的な側面を見せ、ラストではホワイトベースを中心とした擬似家族のファミリードラマとしての大団円。
大団円にはもう感動するしかないですが、3部作の映画として、前2作で描かれていた現実的な戦争モノとしてはやや焦点がぼやけてしまった感じがする。シャアの復讐も絡んでくるし。
とは言え大団円には本当に感動。『ガンダム』はこのラストを迎えた事で名作になったんだなぁと思う。
テレビシリーズは長らく観ていないので忘れている事がいっぱい有った。
マ・クベってどうなったんだろう?いつの間にかいなくなってた。
フラウ・ボゥがハヤトといい感じになってた。
フラウ・ボゥは当初はヒロイン候補だったけど、作品が進むにつれアムロが別次元に行ってしまったためにハヤトとくっつけられた。って感じなのだろうか。
本当に本当に失礼ながら作画的には笑える所が有る。
アムロが父親を見つけるシーンでの街中の描写はシュールだった。
影の付け方が独特。色の塗り分けの所と、多分原画の時点での鉛筆での塗り潰しの所がある。その塗り潰しが劇画チックな印象を与える。
劇画のある意味泥臭さが現実的な戦争を表現しているのかもしれない。
決断の3時10分 [2009年9月に観た映画]
『決断の3時10分』
“3:10 TO YUMA” (1957・アメリカ) 1h32
監督 : デルマー・デイヴィス
出演 : ヴァン・ヘフリン、グレン・フォード、レオラ・ダナ、フェリシア・ファー
『3時10分、決断のとき』のオリジナル作品。因みに本編は白黒。
物語はいたってシンプル。
悪の魅力に人は抗えられるか。
悪の魅力に重点を置いて描かれているところが当時としては斬新だったのかもしれない。
オリジナルの主役二人は、はっきり言ってオジサン。そこがリメイクとは決定的に違う。
リメイク版のジェームズ・マンゴールド監督は本作が好きでリメイクしたんだろうか?
テーマとしては現代でも十分通用するからそこに現代的解釈を取り入れ、尚且つ気に入らない所を直してリメイクしたような気がする。
タイトルそのままを歌詞にする主題歌が最近ではとんと聴かないので新鮮だった。
「スリィテントゥユゥマァ~」
『トランスフォーマー』や『G.I.ジョー』なんかもそういう主題歌作ればいいのに。
ロクスベリー・ナイト・フィーバー [2009年9月に観た映画]
『ロクスベリー・ナイト・フィーバー』
“A NIGHT AT THE ROXBURY” (1998・アメリカ) 1h22
監督 : ジョン・フォーテンベリー 脚本・出演 : クリス・カッテン、ウィル・フェレル
出演 : ダン・ヘダヤ、モリー・シャノン、チャズ・パルミンテリ、メレディス・スコット・リン、リチャード・グリーコ
ダグ・ブタビとスティーヴ・ブタビ。二人はおバカな兄弟。二人の夢は自分達のクラブを持つこと。
しかしその夢の前にはおバカであるが故に大きな壁が立ちはだかる。
とは言ってもコメディだから最後はハッピーエンド。それが当然と言えば当然なので笑って観られる。
珍しくストレートヘアーのウィル・フェレルが見れました。
ウィル・フェレル=チリチリヘアー。のイメージしかないのでその違和感だけで面白い。
ウィル・フェレルの魅力ってスクリーン上の全てをブチ壊しかねないその破壊力ではないかと思います。
残念ながらその破壊力は本作にはあまり有りませんでした。
現在の2大破壊者といえばウィル・フェレルとジャック・ブラック。
ウィル・フェレルはデカイ図体で大声わめき散らしながらスクリーン上を破壊しまくるゴジラタイプ。
ジャック・ブラックは同じ破壊者でも、エネルギーが頂点に達すると大爆発を起こす『ドラクエ』ばくだんいわタイプ。
かつてのTVスター、リチャード・グリーコが本人役でかつてTVスターだった事を茶化されます。
しかしかつてTVスターだった事を知らないので今イチ笑えない。
でもなんかで観た事有るなぁ。と調べてみたら『モブスターズ』に出てました。
それとまだ無名だったと思われるエヴァ・メンデスがチョイ役で出てました。
昔から今のゴージャスさが有ったわけではなく、正直言ってイモ姉ちゃんでした。
後、マイケル・クラーク・ダンカンも出てた。
8月のシンフォニー 渋谷2002~2003 [2009年9月に観た映画]
『8月のシンフォニー 渋谷2002~2003』
(2009・日本) 1h58
監督・脚本 : 西澤昭男
声の出演 : 福圓美里、高橋恵子、高橋和也
シンガーソングライター川嶋あいさんの感動の実話をフィクションを交えてアニメーション化。
フィクションは相当なフィクションらしい。映画冒頭にその旨の説明文が出てきました。
どの程度のフィクションなのかものすごく気になります。
今年の夏映画はアニメが良かったのでもしかしたらこれも。と思って観ました。
残念ながらその予感は当たりませんでしたが、川嶋さんについてほとんど知らなかったので興味を持って観る事は出来ました。
芝居の間(ま)が悪いなぁと感じる所が有ります。声優さんの間ではなくて絵のタイミングの間。
多分0.5秒とかそれぐらい僅かにズレているんだろうと思う。その僅かなズレがちょっとヘンな感じ。空々しさを感じるというか。
0.5秒とか0.1秒とかの間に拘れるかどうかで芝居や作品の良し悪しって決まるものなのかもしれない。
キャラクターデザインが薄いのはなんでだろう?と疑問だったのですが最後のコンサートシーンで分かった気がしました。
そのコンサートシーンでは、『白雪姫』などで有名な実写を撮ってそれをトレースするロトスコープの手法を使っている。その為ピアノを弾く指の動きなどは滑らかに表現されていました。
そのロトスコープだと顔があまり凝ったデザイン、アニメ的なお目目パッチリキラキラのデザインでは合わないんじゃないだろうか?と想像。顔のアップは少なかったと思う。
だから最初にロトスコープ有りき、そのシーンに合わせる為にキャラクターデザインを薄くしたんじゃないだろうか。と勝手に解釈しました。
ゴー・ファースト 潜入捜査官 [2009年9月に観た映画]
『ゴー・ファースト 潜入捜査官』
“GO FAST” (2008・フランス) 1h29
監督 ; オリヴィエ・ヴァン・ホーフスタッド
出演 : ロシュディ・ゼム、オリヴィエ・グルメ、ジュリー・デュラン
ヨーロッパに暗躍する麻薬組織を壊滅するため決死の潜入捜査が始まる。
リュック・ベッソン率いるヨーロッパ・コープ社製の作品。
本作にはリュック・ベッソンは直接関係していないみたいだけど、ボンクライズムは継承されていて最終的には似た様な仕上がり。
『96時間』の原型のよう。
闇の組織の実態をリアルに描き、そこにアクションを絡める。
本作の場合『96時間』ほどにアクションの出来がよくなく途中で退屈してしまい、話しも見失ってしまいました。
でもラストは爽やかなハッピーエンド。
リュック・ベッソン及びヨーロッパ・コープ社はこの先もボンクラ路線で突き進むんだろうか?
それならば諦めもつくし、逆に応援したい気持ちになってきた。
犯人の車に発信器を取り付ける。なんていうのは今まで何度も観てきましたが、本作の場合それを上回る捜査方法。
麻薬組織所有の車と警察の改造が加えられた車を丸ごと取り替えちゃう。
その際に外観の汚れや車内に置いてある空き缶の位置などを全て再現。
大胆なアイデアと実行する際の手際の良さに感心するばかりでしたが、一つ気になるのは車内の臭いは再現しないで大丈夫なんだろうか?
車内の臭いってそれぞれがそれぞれ独特でかなり気になる所だと思う。
九月に降る風 [2009年9月に観た映画]
『九月に降る風』
“九降風” (2008・台湾) 1h47
監督・脚本 : トム・リン
出演 : チャン・チエ、リディアン・ヴォーン、ジェニファー・チュウ、ワン・ボーチエ、リン・チータイ、シェン・ウェイニエン、チウ・イーチェン、チー・ベイホイ、リー・ユエチェン
台湾。1996年。高校生たちの青春物語。
ネタバレ有り。
優等生というわけでもなく、かと言って喧嘩に明け暮れるワルでもない。
タバコ、ビールは当たり前。野球大好きなちょっと不良の高校生男子7人組。
そんな奴らの友情がある時を境に脆くも呆気無く崩れてゆく。
青春とはかくも苦いものなのである。という人生訓だろうか。
その苦さを経験しないといけないのかもしれないなぁとは思う。大人になるためには。
しかし本作の青春は苦い。
タイトルの『九月』、夏休みのエピソードが無い所から推察して、恐らく物語の大半は九月に起こった出来事なのかと思う。
僅か1ヶ月であんなに仲の良かった奴らの友情が全壊。そんなものなのかもしれない。
壊れやすい友情。それが’90年代の台湾の時代の雰囲気だったのかも。
時代の雰囲気を出すために、当時の台湾プロ野球事情とスター選手の活躍が随所で挿入され、最後にはラストエピソードとして描かれる。
そのラストエピソード、残念ながら台湾プロ野球に全く疎いのでどういう意味が有るのかさっぱり分からなかった。
’90年代を懐かしんでいるんだろうか?
’90年代はもう懐かしむ時代になってしまった。
高校生たちの友情は儚くも壊れ、台湾プロ野球も揺れに揺れていた。そんな中で確かなものはそのスター選手の存在だけだった。って事?