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異端の鳥、ウィッカーマンfinal cut、ストレイ・ドッグ [映画]

異端の鳥を観た。
身の安全のため両親の元を離れおばに預けられたユダヤ系の少年はその僅かな期間で過酷な運命を体験する。

下調べを全くせず予告も目にしなかった。多分第二次世界大戦下、ソビエト連邦領内でナチスドイツはすぐそこに迫っているがまだ戦闘状態には無い。という状況なのではないかと理解して観た。
そんな状況の中で少年はユダヤ人という事もあって常に微妙な立場でいつでも危険と隣り合わせにいる。年齢とか関係なく大人でも十分過酷な境遇であるけどこれが極めて稀な話では無くてそういう事はそんなに珍しくも無く起こっていたのだろう。本作の少年の様にあそこまで集中して立て続けに起こる事も珍しくは無かったのか。
少年は自分の事を見捨てたと思った父親もまた過酷な状況にあったと理解したのではないか。自分だけが悲惨な目に遭っていたのではないと。
少年の成長で締めくくられ、そこで少年の過酷な人生は終わった。というわけではなくて、父と子が再会した時には終戦したのかちょっとよく分からないがもしかしたらあれから戦闘が激化するのかもしれないし、戦争が終わったとしても今度は東西の冷戦が始まるしで少年、少年だけではなくその時代のその場所に生きた人達は過酷な時代を生きていかなければならないと。その事を常に考えていないとまた同じような事が起きてしまう。今実際に起きている所も世界にはあるのだろう。



ウィッカーマン final cutを観た。
1973年、スコットランド。少女失踪の報せを受け単独でサマーアイル島に捜索に来た巡査部長ニール・ハウイー。敬虔なキリスト教信者であるハウイーは島の独特な風習と妖しげな人々に戸惑いながらその島で行われる豊穣祈念の五月祭を迎える事になる。

カルト作と言われ2006年にはニコラス・ケイジ主演でリメイクされた。
ニコラス・ケイジのウィッカーマンは劇場公開時に観たけどオリジナルである本作はこの度初めて観る。
ニコラス・ケイジのウィッカーマンの事はあまりよく覚えていない。確か大量の蜂が出てきた様な気がするが本作に蜂は出てこなかった。
本作の主演の人はニコラス・ケイジに似ているという事は無いんだけどふとした表情にチラッとニコラス・ケイジの面影が見える。それはニコラス・ケイジがきっちりとこの映画を研究して演技を参考にしていたからなのだと思う。
ニコラス・ケイジが主導で作り上げたリメイク作品だけどその評価はあまり良くなかったのが残念。

カルト作と言われる所以は映画が製作された1973年当時ではセックスが開けっ広げであるからではないかと思う。それを除けばカルト作と言われてイメージする様な難解な作品では無く話としてはむしろ分かりやすい。その時代の社会情勢からどの様な影響を受けて作られたのかとかは分からないけども。カルト宗教が描かれる作品もそんなには無かったのか。
キリスト教のアンチとしてのセックス開けっ広げ教の存在なのだと思う。なのでセックス開けっ広げ教で無ければ成立しない話かと言うと多分そうでは無いとは思う。他にアンチとしての要素は有るだろうと思うし。よく有るのは悪魔の存在とか。
子孫繁栄とか五穀豊穣とかにつながるセックス開けっ広げの教えなのかもしれない。その教えへの盲信が狂気へと変貌していく。



ストレイ・ドッグを観た。
殺人事件が起こりその現場を見た女性刑事エレン・ベルは一目で犯人はかつての潜入捜査で自分と因縁のある人物だと見当をつける。犯人からの接触を受けたエレンは己の過去と決着を着けるため単独で捜査に臨む。

ニコール・キッドマンが美貌をかなぐり捨ててダーティーな刑事役に挑む。なのでその様に刑事モノの映画として観ていたらラストで混乱してしまった。現在パートと過去パートに分かれているが、あのラストだと現在パートはどこから始まっているのかが見当がつかない。どこから始まっているのかを分からせず観客を混乱させる事が目的なのか。その事にどういった意味が有るのかはちょっとよく分からないがそうだとすると刑事モノの映画として観た事が間違いだったのかも。
でも現在パートでの銀行強盗のシーンはなかなか良かった。あのシーンが良かったから刑事モノとして期待してしまった。

ニコール・キッドマンが一瞬トム・クルーズに見えた時が有った。過去パートの夜の焚き火のシーンだったか。
女優さんが年齢を重ねてくると何故だか大体ミッキー・ロークに似てくるんだけど。
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