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『ビデオドローム 4Kディレクターズカット版』『探偵マーロウ』『リバー、流れないでよ』 [映画]

『ビデオドローム 4Kディレクターズカット版』を観た。1983年、カナダ、1時間29分。
ケーブルテレビ局"CIVIC-TV(シヴィック・ティーヴィー)"は大手のテレビ局では到底放送出来ないエロとバイオレンスの映像を放送し特定の層から支持を得る一方で良識人とされる人達からは非難の的となっていた。それでも社長のマックスはより過激な映像を探し求め行き着いたのは送信場所が特定出来ず数十秒だけ受信した謎の番組『ヴィデオドローム』だった。

"テアトル・クラシックス ACT.3"にて。ミュージカル特集、ポール・ニューマン特集と来てACT.3は本作だけみたい。

内容はあまりよく理解できていない。教授と呼ばれる人がある目的でヴィデオドロームを開発(?)して、ヴィデオドロームの存在を知ったある組織(?)がそれを教授とは別の自分達の目的のために利用しようとしてそれにマックスが巻き込まれた。積極的に巻き込まれていったとも言える。という事でいいのだろうか。
教授の目的はヴィデオドロームの放送を通して人間を新しいステージである新人間へと導く事でいいのか。それはそれ以前にもテレビの存在が人間を変えてきた事を意味しているのだろうと思う。それだけの影響力、もっと言えば洗脳性を持つものだったのだと思う。しかし現在はネットやSNSにその座を奪われているがある程度の影響力は持っている。
テレビが持っていた洗脳性は特定の映像を自分の好きなときに好きなだけ見る(見させる)事が出来るビデオによってより高まるであろうと予見していたのか。実際にそういう洗脳の方法も有るのかもしれない。
1983年というとビデオが一般家庭にも広まっていた時期だろうか。我が家にビデオが来たのはもうちょっと後だったかと思うので一般的には既に十分に広まっていたのかもしれない。
テレビが人間を変えてきて更には新人間へと進化させるものとしているがデヴィッド・クローネンバーグ監督ならではのグロテスクに描かれる新人間の有り様を見ると本当にその進化は正しいものなのかと思える。
そもそも人間という存在そのものがグロテスクだとするとそこからいくら進化しようがグロテスクなままなのかもしれない。
テレビという存在によってよりグロテスクになってしまった人間。果たして人間にとってテレビは必要だったのか。良質な番組も確かに有ったけど、でももしテレビが無かったらもう少しまともで謙虚な存在になれていたのかも。と、かつてのごりごりのテレビっ子は思う。
まさか今欠かさずに観ているテレビ番組がクレヨンしんちゃんだけ、しかも配信サービスのTverで観ているとはごりごりだった頃からすると考えられない。

マックス役のジェームズ・ウッズのいかがわしさが存分に発揮されていて良かった。
お色気たっぷりのお姉さんデボラ・ハリーは超有名なブロンディというバンドのヴォーカルという事で洋楽に疎い自分でもこの2曲は聴き覚えが有った。




邦題の表記は今回の"テアトル・クラシックスACT3"では『ビデオドローム』だけど『ヴィデオドローム』としている所も有る。どっちなのか。



『探偵マーロウ』を観た。2022年、アイルランド=スペイン=フランス、1時間49分。
1939年、ハリウッド。探偵のフィリップ・マーロウに人探しの依頼が入るがその人物は既に死体で発見され警察も身元の確認を取っていた。しかし依頼者はその死体が偽装されているものだと確信を持っていた。

本作は『ロング・グッドバイ』の続編という事になるらしい。原作者のレイモンド・チャンドラーの没後に公式に別の人が書かれた小説の映画化。
ついこの間ロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』を観たばかりだけどロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』は原作小説とは変えてるみたいだからその二つに直接的なつながりを見付けるのは難しいのかもしれない。でも観ておいて良かったのはマーロウの自宅を訪れた依頼者が帰るのを尾行する為にマーロウがあっという間に自分の車に乗り込んでいた様に思えるシーン。あれはマーロウの自宅がちょっと独特な構造になっているから可能なのが『ロング・グッドバイ』でも似た様なシチュエーションが有ったので理解出来る。オマージュなのかも。
死んだとされる人物を探す間にそこに隠されている人間模様を探偵が垣間見るところは同じで、同じだけど人間模様は全くの別物というアレンジをしたセルフリメイク的な続編なのかもしれない。

本作の人間模様で一番重要なのは母と娘の関係性なのではないかと思う。複雑な人間模様が描かれる中でのミステリーだからあまり母と娘の事ばかりに注目を向けさせるとウェットになってしまうし、そこはハードボイルドなのだからあくまでドライにという事か。
そもそも探偵を主人公とした作品において探偵は事件に関する人間関係において大体が部外者なのであって、依頼を受けたからその既に複雑に絡み合って構築された人間模様を読み解こうと自分の感情は抜きにして立ち振る舞う。
事件は情念等も相まってドロドロとしているが探偵はそれを冷静に観察して分析、そして推理をする。当然当事者達と探偵との事件に関しての温度差は開く。探偵はあくまでクール。クールである事ががハードボイルドたらしめるのかも。
警察モノでも警察は事件に対して冷静でなければならない点では同じと言えるけど、警察の場合は正義と悪の対立という関係性にもなるから事件に対しての温度差は開かない。
本作では終盤で探偵と一緒に行動する事になる人物が事件に少しだけ深く関わっているのでそばにいる探偵の熱量もつられて上がる。クールさがハードボイルドと言えどやはり肝心な所では熱くならないと盛り上がらない。本作では熱くなって盛り上がったと思う。

かなり久し振りにTOHOシネマズシャンテで観た。TOHOシネマズはQRコード入場になったものだと思っていたがシャンテはチケットを発券しなければならず、そういった所がシャンテだなあとシャンテに対しての複雑な思いがつのる。



『リバー、流れないでよ』を観た。2023年、日本、1時間26分。
京都、貴船の山あいの旅館では従業員が交代で昼休憩を取ろうとしていた。その間の2分間が延々と繰り返される。

TOHOシネマズ日比谷にて。こちらはQRコード入場対応。

ループモノ。これまではループの期間は大体が1日、長いと1週間とかは有った。期間ではなく命を失ったら元に戻ってやり直しとかも。
本作は2分間のループ。1分間じゃ短過ぎて何も出来ないし、3分間だと映画のシーンとしてはちょっと間延びする場合も有るのかもしれない。2分間だと結構色んな事が出来て丁度いい様に思えた。それはフィクションだから都合良く行くのかもしれないけど。しかしそう考えたらフィクションである事を抜きにしても17、8時間くらい有る『恋はデジャブ』は何でも出来るなと思う。

それにしてもその発想も面白いが実際に映像化に挑戦したのが素晴らしい。
撮影大変だったろうなと呑気に思いながら観ていたが実際本当に大変だったみたい。2分間きっかりにしなければならないワンカットでの撮影に加えて天候が記録的な寒波襲来での大雪、命の危険も考えられ何度も撮影を中止しなければならなかったとか。大雪で現地に閉じ込められたら正に『恋はデジャブ』になった所。そのためスケジュールが逼迫して積もった大雪を取り除く事は難しく大雪の影響が映像にしっかりと残されている。本来はその影響の無い状態を望んでいたのだろうけど、それによって時間のループだけではない世界線にもズレが生じているというSFとしての奥深さみたいなもの、今流行りのマルチバース的なものが表現されているようで結果オーライで良かったと思う。
物語の結末もSF作品にしばしば現れる組織が関係していてSFとして終わっているのが良かった。
その組織は藤子・F・不二雄先生の作品にも度々登場していて、前作『ドロステのはてで僕ら』ではF先生のSF(少し不思議)作品の事について言及されていて、それを考慮すると本作に出ている組織もF先生の作品から来ているんじゃないかと勝手に思う。メカニックはちょっとボロっちいけど。


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