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容疑者、ホアキン・フェニックス [ヤ行の映画]


I'm Still Here: The Lost Year of Joaquin Phoenix [DVD] [Import]

『容疑者、ホアキン・フェニックス』
“I'M STILL HERE” (2010・アメリカ・1h48)
製作・監督・脚本・撮影・編集・出演 : ケイシー・アフレック  製作・脚本・出演 : ホアキン・フェニックス
出演 : アントニー・ラングドン、ショーン・コムズ、ベン・スティラー








俳優引退。そしてラッパーへの転身を表明したホアキン・フェニックス。その実像にカメラは密着する。



という風に見せかけるフェイクドキュメンタリー。と言うか全世界を巻き込んでの壮大なドッキリ。
しかしこの企画がスタートして早々の時点で、「それってドッキリなのでは?」と疑われていたらしい。
完全に引っ掛かっていた身としては何とも恥ずかしく。
しかし疑っていたのにもかかわらず、真相を表明したらかなりのバッシングが有ったようで。別に信じていなかったんだから何もとやかく言う事は無いと思うけど。

そもそも映画を含めフィクションであるものはドッキリの要素を含んでいるわけで。またドッキリを含んでいるから面白いのであろうし。
言わばフィクションとはドッキリである。という事でドッキリだけで映画を作ったらどんな事になるのか、どれだけ面白い映画が出来上がるのかを実験、証明しようと試みたのかも。



この映画は初めからドッキリが破綻する事を想定して作られたんだろうか?それとも思っていた以上にバレるのが早かったけど、始めてしまったからやり続けたのか?
後者だったとしたら相当ハートが強い。ちゃんと最後までやり通した。まあどこをゴールとして目指していたのかはよく分からないけど。
仮にドッキリがバレなかったらちゃんとラッパーとしてデビューして。で、どうしたんだろう?どこかのライブ会場でライブの幕が開いたらホアキン・フェニックスが赤いヘルメットにプラカードでドッキリであったことを明かすとか。



ハリウッドスターやセレブを取り囲むリアルな状況を映像に記録する事も目的だったのかも。
そこらへんはサシャ・バロン・コーエンの一連の作品からの影響が有るような。
サシャ・バロンの場合は特異なキャラクターを通しての社会風刺というスタンス。一方のこちらはホアキン・フェニックスをホアキン・フェニックス本人が演じる。しかし演じられるホアキン・フェニックスはハリウッドスターとしての、虚像としてのホアキン・フェニックスである。と、何が何やら分からない。

その虚像としてのホアキン・フェニックスを演じきり、ラッパーとして実際にステージに立ったホアキン・フェニックスの役者根性は認めるべき所であろうと思う。
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