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『宮本武蔵』『宮本武蔵 般若坂の決斗』 [映画]

『宮本武蔵』を観た。1961年、日本、1時間50分。
関ヶ原の戦いで西軍につき功名を上げようとした新免武蔵(しんめんたけぞう)だったが西軍は敗れ東軍に追われる身に。生き延びるために行なった行為はまるでけだものだと生まれ故郷宮本村の坊主沢庵に諫められ人として生まれ変わるべきだと姫路城の天守閣に幽閉される。

剣豪宮本武蔵の事は部分的にしか知らない。巌流島の決斗とか。
本作を観ていた間はドラマチックで波乱万丈な人生を疑う事は無かったが、映画を観た後にこの映画の事とか原作の事とか宮本武蔵に関してウィキペディアをチラッとだけ見てみたら原作は有力な史実に対してかなり改変されているとの事。なので原作を忠実にかどうかは分からないが改変されている原作を基にした本作も当然有力な史実とは異なっているという事。
それは原作が新聞連載として書かれていた1930年代(1935年から1939年、朝日新聞)には原作で書かれていた事が通説となっていたのだろうか?とも思ったがそうではなく、原作者の吉川英治氏が意図的に改変したらしい。
改変した意図とは何だろう?勝手に想像すると関ヶ原の戦いでは宮本武蔵は剣豪だった父親と共に東軍で戦ったらしく、そうなるとその後の60回以上の決闘でも無敗とされているから負け知らずという事になる。それでは読み物としてはドラマ性が無いので最初に一度大きな敗北を経験させてそこから成長していく姿を描く事にしたのではないだろうか。

中村錦之助(後に萬家錦之介に改名)さんの顔立ちが何か仏像の様だった。優しい系じゃなくておっかない系の仏像。
武蔵が荒れてた時期なので大体が怒鳴っている。声帯とか大丈夫なんだろうか?とちょっと心配していたら映画の終わりの方では声が枯れていたような気がした。

坊主の沢庵を演じた三國連太郎さんが良かった。飄々としているけど威厳も有って。当時38歳でその二面性を演じられていたのが凄い。この人がいなかったら武蔵はけだもののままでどこかで野垂れ死んでいたかもしれない。と思えるほどの説得力が感じられた。創造上の人物では有るのだけど。
同じく創造上の人物で武蔵と恋仲になりそうで今の所なっていないお通を演じた入江若葉さんが可愛かった。本作がデビュー作だとか。とにかく物凄くおっとりしている。今で言うなら山口もえさん級のおっとり具合。

この1作目だけ音楽は伊福部昭さん。ちょっとゴジラっぽい感じの音楽も有った。



『宮本武蔵 般若坂の決斗』を観た。1962年、日本、1時間46分。
剣の道に生きその道を究める事に生涯を捧げる事を誓った新免武蔵改め宮本武蔵は武者修行の旅へと出る。修行中の身でありながら無類の強さを誇る武蔵はそのため新たな敵を作り憎しみを買ってしまう。

三年間の幽閉で己を見つめ人として生まれ変わった宮本武蔵が選んだのは剣の道。今とは違って真剣勝負の剣の道で結局殺し合いになる事も有るのだから生まれ変わってないんじゃないかと思えてしまうが、勝負する相手も同じ武芸者で殺し合いになる事も納得の上なのでいいのだろうと納得。
関ヶ原の戦いが終わり江戸時代となり戦の時代も終わっていく。その中で武士として生きていくとはどういう事なのか。自分なんかは生活費とかどうしてんの?とかが気になってしまうがそういう事では無いのだろう。気高く生きるための武士の道と。
この映画が作られた1960年代では戦時中、戦後の記憶がまだ生々しく残っていた時代だろうと思う。軍国主義から民主主義へ。大きな時代の変わり目を実体験とした人たちが作って、そして観て、今とは違う感じ方や思いが有ったのではないかと思う。
自分なんかもアナログからデジタルの時代へと移り変わっていく真っ只中を生きているわけだけど。あまりその重要性には気付かずに日々を過ごしている。

江戸時代となり坊主と武士の関係性も恐らく変わったのだろう。それまでは武士の方が優位だったけどそれすらも変わっていってしまう事に武蔵は憤りを感じてそれがラストシーンになっていたのだろうと思うが残念ながら武蔵の想いが込められた台詞が聞き取れなかった。

武蔵の一番弟子となる城太郎を演じた子役の人が良かった。


丸の内TOEI 内田吐夢監督作品『宮本武蔵』 中村錦之助=萬屋錦之介 生誕90周年記念特集上映にて。
全5部作を3週間にわたって上映。
丸の内TOEIの2階ロビーのポスター展示は錦之介さんと鶴田浩二さんそれぞれの主演作品のに変わっていた。次の特集上映が鶴田浩二さんなのだろうか。
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