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『サン・セバスチャンへ、ようこそ』『燈火(ネオン)は消えず』 [映画]

『サン・セバスチャンへ、ようこそ』 2020年、スペイン=アメリカ=イタリア、1時間32分。を観た。
ニューヨークの大学で映画を教えていたが現在は小説を執筆中のモート・リフキンは映画の広報の担当をしている妻のスーの仕事に付き添ってスペインのサン・セバスチャンで行われる映画祭にやって来た。付き添いの目的はスーと注目を浴びているフランス人映画監督との仲を疑っての事だった。

ウディ・アレン監督作品の主人公が男の場合はウディ・アレン自身が反映されていると言われるけど本作もやっぱりそうなんだろうなと思う。理屈っぽくて神経質で恋愛に関しては年老いても好奇心旺盛で。
かつてのヨーロッパ映画の名作への心酔は観ていない作品がほとんどなのでよくは理解できなかった。日本映画の話しも出てくるけどそんなに映画に詳しくない欧米人からしたらちんぷんかんぷんなのは、いくら"世界の何々"とか日本人同士で持ち上げても実際はそんなもんなんだろうという事が分かる。

他の作品では主人公はを演じている役者さんの演技もどこかウディ・アレンっぽい感じがしたりもするが本作のウォーレス・ショーンはそんな感じではなかった。ウォーレス・ショーンは初めて見る人かなあと思ったけど『トイ・ストーリー』シリーズの恐竜のおもちゃのレックスの声でお馴染みの人だった。

ネタバレ有り。

本作の結末では最終的に主人公は一人きりになって終わる。それがドラマチックなわけでもなくて、ただ一人きりになる。それがウディ・アレン監督が行き着いた死生観であり人生観なのかなあと思う。生きてる間はじたばたしてしまうけど死ぬ時は結局一人、死んだらそれまでと。死んだ後になってその人の事を追悼されたりしても当の本人が知る事は無くて。ウディ・アレンの場合は追悼されるだろうけど色んな事も言われるであろうと覚悟もしてるんだろう。



『燈火(ネオン)は消えず』 2022年、香港、1時間43分。を観た。
かつての名物であった夜の香港のネオンサインのほとんどが姿を消していた。ネオン職人であったビルが亡くなり妻のメイヒョンは失意に暮れていたがビルが内緒でネオンの仕事を続けていた事を知る。

2022年の東京国際映画祭で上映された時の邦題は『消えゆく燈火』。こういうのは誰の決定で決めるのだろう?

光輝いていたネオンが無くなりつつあるのは香港が様変わりしている事を象徴しているのは言うまでもない事なのだろう。 そう考えると中国への返還が大きかったと思えてしまうが、単に設置からの耐久年数の問題だったのかも。老朽化とかで大きな事故が起きてから汚名を残して姿を消すより美しい思い出だけを残して去った方がいいのかもしれない。実際違法設置による落下事故とかも有ったみたいだけど。
ネオンサインは減少し、その事を題材にした本作の様な叙情的な作品が香港映画で増えているようにも思えて、それも寂しいなとは思う。
個人的にも最近はなんだか昔の思い出に浸ってしまいがちになってしまっているようで。今の流行にあんまり乗れないのも年老いた証拠なのか。
こんな時こそ『クレヨンしんちゃん オトナ帝国』を観ればいいのかもしれない。しかし、『オトナ帝国』も2001年の作品で、懐古趣味を諫めるために23年前の映画を観るのは何のパラドックスなのか。
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