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読まれなかった小説、幸福路のチー、去年マリエンバートで、HUMAN LOST人間失格 [映画]

読まれなかった小説を観た。
大学を卒業し故郷に帰ってきた男。小説家になる夢を抱き作品を書き上げていたが出版の目処は立っていなかった。

3時間半の長丁場のほぼ会話劇。父と子の間での会話はすんなりと入ってくるが、文学論や宗教論などが語られると内容は理解出来ず台詞の字幕を目で追うのが精いっぱい。

トルコが舞台。トルコはヨーロッパとアジアの境目というのはマイケル・ウィンターボトム監督のイン・ディス・ワールド(2002年)を観た時に知った。パキスタンの難民の少年が色々な手段を使ってイギリスを目指すという話で、ただ観ているだけでも行程が過酷で辛いけどトルコでそれまでの殺風景な景色からガラッと変わってホッとしたのが印象に残っている。
本作の中でトルコの東側(アジア寄りの地域)は情勢が不安定みたいな事が言われている。現在でもそういう状況なのか。

そういえば最近マイケル・ウィンターボトム監督の映画観てないなあと思ったがコンスタントに作り続けていてただ自分が観ていないだけだった。呼んでいるシリーズなど最近はスティーヴ・クーガンと組む事が多いみたい。



幸福路のチーを観た。
1975年生まれのリン・スー・チーは台北郊外の幸福路(こうふくろ)で育つ。チーの成長と共に時代は動き社会は変化していくが幸福路では穏やかに時間が流れていた。

台湾生まれの女性の年代記をアニメーションで描く。子供時代のエピソードが無邪気で懐かしくて面白い。そこの部分をネバーエンディングで繰り返すとサザエさん、ちびまる子ちゃん、ドラえもん、クレヨンしんちゃんになるわけで。
1980年代の台湾では日本製のテレビアニメ、ガッチャマンが放送されていたらしい。チーが金髪少女になったり王子様が現れるのはキャンディキャンディからだったりするのだろうか。

読まれなかった小説と同じく最終的に主人公が選ぶのは故郷や家族への回帰。グローバル化が経済、文化の発展には必須と叫ばれる昨今、発展と引き換えに失われてしまう大切な物事を見つめ直すのも必要という事でしょうか。



去年マリエンバートで<4Kデジタル・リマスター版>を観た。
豪華なホテルで有閑な時を過ごす人々。

1961年製作のフランス・イタリア合作のモノクロ作品。
ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞と作品の評価は高い一方で難解とも言われている作品という事。多分自分には理解出来ないだろうと覚悟の上で観た。全くもって意味不明という感じでもなくブルジョワジーの怠惰な人生が描かれているのだろうと思えた。あの人たちはあのホテルで何をしているんだろう?と考えると社会活動なんていう大袈裟な事は言わないにしても自分たちの生活に関してもなんにもしていないわけでただただホテルの敷地内で死んだ目をして時間をやり過ごしている。きっとホテルの外では必死に働いて日々の生活を営んでいる人たちがいるはずでその人たちとは全くの別世界。庶民には到底理解出来ない悩みも有ってブルジョワだから幸せかと言えば必ずしもそういう事でも無いと。
死んだ目をしていても人を愛するという感情は沸き起こってしまいその愛を成就させようともがくが死んだ目の者同士でそれは難しい。



HUMAN LOST 人間失格を観た。
昭和111年、東京。医療の劇的な進歩により全ての病は克服され長寿大国となった日本。生きる事も管理される社会を破壊しようとする者が現れる。

太宰治の小説、人間失格を長編SFアニメーション化。この映画を観るにあたっては小説を読んでいる事が前提に有るのだろうと思う。多分読んでない。学校の授業で扱ったのかもしれないが覚えていない。絶対SFではないであろう(SF的な要素は有るんだろうか?)太宰治の小説をSFアニメ化させた驚きだけは少し有った。
原作を読んでいるという前提条件を満たしていないので話が分かりにくい。それ以外にも脚本があの人なので(エンドクレジットで知った)分かりにくいのも納得だった。
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