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ベンジャミン・バトン 数奇な人生 [2009年2月に観た映画]


The Curious Case of Benjamin Button: Music from the Motion Picture
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
“THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON” (2008・アメリカ) 2h47
監督 : デヴィッド・フィンチャー
出演 : ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、タラジ・P・ヘンソン、ジェイソン・フレミング、ジュリア・オーモンド、ティルダ・スウィントン



ネタバレあり。




2時間47分観終えた直後の感想は「だから何?」。
しばらくして考えてみてあのラストからすると、人は一人で生まれ一人で死んでゆくものだけど、しかしながら別の人との出会い(その人とどれほど係わり合ったのか、また時間の長さなどは関係なく。)が人生を意味のあるものにするのである。みたいな事を言いたいのかと思いました。

内容からするともっと感動的なお涙頂戴な感じに出来たと思うし、そうした方が言わんとしている事も分かりやすかったのかと思います。
原作がどのようなテイストのものであるのかは分かりませんが、そうしない所がデヴィッド・フィンチャー監督らしいし、自分としてもお涙頂戴でないので観やすい事は観やすかった。

観終わった直後に何を言わんとしているのかが分かる分かり易い映画の方が基本的に好きですが、たまには本作の様に観終わってからもしばらくその映画について考えられる映画も良いと思いました。



邦題の『数奇な人生』。そんなに数奇だったかなぁと思います。原題は若干意味合いが違うようですが。
ベンジャミンの身体的特徴と、普通の人の人生と較べたら数奇だとは思いますが、ベンジャミンでしか経験出来ないであろう数奇な人生とは思えませんでした。
むしろ7回雷に打たれた男性や、猿の檻に入れられ見世物にされた男性の方がよっぽど数奇。
7回雷に打たれた男性の全エピソードを見たかった。確かエピソード5で打ち切り。



細かい所を突っつきますが、赤ん坊の体に老人の容姿で生まれてきたベンジャミン。
それならば晩年は老人の体で赤ん坊の容姿にならなければおかしいのでは?実際は青年⇒少年⇒赤ん坊と見た目そのままに若返る。
人は赤ん坊で生まれ赤ん坊に帰ってゆく。と言われますが、その様な人生の円環を示しており、本作で重要なモチーフになっているアナログな時計もそれを表しているのでしょうか?12時で始まり12時に戻るといった。

映画の中ではそのアナログ時計がデジタルに取って代わられ円環を示さなくなります。デジタルだとどうしても直線的に進む感じがします。
本作はデジタルなCG技術無くしては成立しなかったかと思いますが、ベンジャミンの晩年はCGを駆使した老人の体に赤ん坊の容姿とせず生身の少年と赤ん坊で見せる事によって、人の一生はただ直線的に進むデジタルなのでは無くアナログの時計の様に円環に、そして少しずつ前に螺旋を描いて進んで行くものなのだ。という事を意味しているのかと考えました。

ベンジャミンの場合は何の因果か人とは違った奇妙なケースで逆回りに、時計職人の願いが込められた逆回りの時計のように。
しかし、それでも人生は後ろに向かう事は無く前に進んでいきます。
老人の姿で生まれようが、雷に7回打たれようが、猿の檻に入れられようが結局人生は螺旋を描きながら前に進んで行くしかないのだ。という所でしょうか。



しかし、こども老人のブラッド・ピットは不思議でした。どうやって撮影したのだろう?
少年の体に老人メイクのブラッド・ピットの顔を貼り付けたのだろうか?
それとも『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムの様にフルCGなんだろうか?



出演時間は短かいもののケイト・ブランシェットの少女時代を演じた子が上手いなぁと思いました。
あの子は誰?とエンドクレジットに注目していたら、その子ダコタ・ファニングの妹のエル・ファニングでした。
そりゃ上手いはずだと納得。でもダコタ・ファニングの幼い頃のこまっしゃくれた感じ、神経質な感じの上手さではなく、なんと言うか天然系みたいな上手さ。見た目もそんなに似ていない。
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ヂュヌヴィエーヴ・F・ビヂョンド

DSilberlingさん、niceありがとうございます。
by ヂュヌヴィエーヴ・F・ビヂョンド (2009-03-05 22:24) 

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