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『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』 [映画]

『夕陽のガンマン』 1965年、イタリア=スペイン、2時間12分。を観た。
西部開拓時代、凶悪な犯罪者には生死を問わず賞金がかけられていた。凄腕のガンマンで賞金稼ぎであるモーティマー大佐とモンコ(スペイン語で片腕の意味)と呼ばれる名無しの男は破格の1万ドルがかけられているインディオとその一味の賞金を狙って手を組んだ。

セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演、エンニオ・モリコーネ音楽で作られたイタリア製西部劇マカロニウェスタン『荒野の用心棒』の製作60周年を記念して、同じ監督、主演、音楽のトリオで作られた『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』の"ドル三部作"を上映。"ドル三部作"という名称での括りが有るのは知らなかった。
製作年の順番通りに『荒野の用心棒』から観たかったが上映のスケジュールがちょっと合わなかった。
三作品とも以前に観ているとは思うけど映画館で観るのは多分初めてか?
超絶ハンサムのイーストウッドと激渋おじさんのリー・ヴァン・クリーフのバディムービー。対立し騙し合ったりしながら最後、「BOY」「OLD MAN」とお互いを呼び合う。「若造」「おっさん」みたいな感覚なんだろうと思う。師匠と弟子とかではなく年の差は有るけど対等な信頼関係で。作品自体もイーストウッドのワンマンなスター映画ではなくイーストウッドとリー・ヴァン・クリーフの共演作品であった。
後にイーストウッドが激渋おじさん、おじいさんの立場になった映画が自身の手によって作られるがそちらでも若造とおっさんの関係で描かれていたと思う。



『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』 1966年、イタリア、2時間59分。を観た。
各地で戦闘が続くアメリカ南北戦争。そのどさくさに金貨20万ドルを奪いどこかに隠した男を追っている賞金稼ぎのエンジェル。賞金をかけられている犯罪人のテュコとブロンディと呼ばれる金髪の賞金稼ぎもそれぞれ20万ドルの情報を手に入れその場所に向かおうとするが行く先には南軍と北軍が激戦を繰り広げていた。

以前、大分昔に観た時に、大分昔なので3時間ではなく2時間40分のバージョンだったかもしれないがそれでも長いなと思ってその印象のままで現在に至っている。今回は3時間版で観ている間も長いなと思っていたが後半の橋をめぐる戦場のシーンからはとても面白かった。戦場からサッドヒルの墓場へと場所は移りテュコが金貨が埋められている場所を探して走り回るシーン、映画史に残る名シーンとされているが今回観て仰る通りだと納得した。エンニオ・モリコーネの音楽が素晴らしかった。セルジオ・レオーネ監督の撮影方法としてエンニオ・モリコーネが先ず音楽を作ってそれにインスパイアされて撮影するという事らしいがそれが大成功したのがこのシーンではないだろうか。他のシーンでは主に『夕陽のガンマン』でも使われているテーマ曲とも言える音楽が使われているがこのシーンだけで新たに作られた楽曲が使われる。このシーンのためだけに取っておきたかったんだろうなと想像する。
テュコを演じるイーライ・ウォラックの走り方が若干欽ちゃん走りの様にも見えてしまう(欽ちゃん走りが世に出るよりも前?)がそれもまたテュコの愛嬌にも思える。
ドキュメンタリー映画『サッドヒルを掘り返せ』(2017年)でもやっぱりこのシーンが素晴らしいと語られていた。本作を観てから『サッドヒルを掘り返せ』を観た方がよりその事が理解出来るのだろうと思う。

邦題では『続・夕陽のガンマン』となっているが『夕陽のガンマン』との話の繋がりは無いとされている。しかし後半になって名無しの男がある衣装を着る事によって繋がっている様にも思えるのが嬉しい仕掛けだった。

南北戦争時代というのは西部劇でよく描かれる西部開拓時代とはどの様に重なっているのだろう?南北戦争によってアメリカの近代化は始まったと言えるのだろうか。近代化の始まりは西部開拓時代の終わりとも言えるのか。時代が変わっていく中でガンマンたちが自分たちの生き方を貫いて自分たちの流儀による撃ち合いで死んだり生き残ったりする姿が時に無様に、でもそんな姿すらも魅力的に描かれていた。

両作品ともお馬さんが賢かった。映画撮影に合わせた訓練をされてその中でも優秀なお馬さんが出演されているのだろうけど、ちゃんと画角の中でいいポジションにきっちりと止まってスッと静止する。乗り手の技術も有るのかもしれない。
画角とか気にしないで自由に動き回った方がリアルという考え方も有るのかもしれないがそれは監督や作品によるのだろう。『乱』のドキュメンタリーを観た時に黒澤明監督はお馬さんをしっかりと導けない役者さんに怒ってたし。
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