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『デストラップ/狼狩り』『オッペンハイマー』 [映画]

『デストラップ/狼狩り』 2020年、アメリカ、1時間33分。を観た。
狩猟を生業にしている一家。毛皮を売る事で生計を立てているが年々買取価格が減少していた為生活は苦しく日々の食べ物にも困る事が有った。それに加え人間を襲う狼が現れ家族の緊張が高まる中、更には足に重傷を負った見知らぬ男も現れる。

池袋シネマロサにて。

ポスターやチラシと予告でどういった内容なのかは薄々分かった上で観て、サスペンススリラーとしてこの先どうなるのかも予想しながら観ていたが全く予想していなかった所に着地した。ホラー映画だった。
ハンター+狼+サイコパスによるサスペンススリラーという事前の情報が無かったらはじめは自然の中での生活の困難が描かれそこに狼が現れて家族と狼との戦いが描かれるサバイバルアクションと思っただろう。地味と言えば地味なんだけど退屈ではなくて家族の生活がしっかりと描かれていて個人的には良く出来た映画だなと思っていた。
監督の意図としてはサバイバルアクションと思わせる事が狙いだったのか。もしそうなら日本での宣伝方法は監督の意図するところとは違うのかもしれないが、着地点が強烈過ぎて予めこれはサバイバルスリラー(本当の所はホラー映画)であると告知する必要が有ると判断されたのか。それはある意味正しいのかもしれない。個人的には意外な着地が面白く思えたがそれはホラー映画への耐性が一応は有るからで、ホラー映画だとは思わずに観てこんなの観たくなかったと思う人もいるかもしれないし、自分でもなんにも知らないちびっ子たちには観せたくないなと思う。本作のレイティングはどうなってるのかは分からないがR18でも妥当なんじゃないだろうか。

『ファイナル・デスティネーション』(2000年)のデヴォン・サワが20年が経った本作ではメル・ギブソンな感じになっていた。『ファイナル・デスティネーション』の頃はメル・ギブソンな感じでは無かったのに。

シネマロサの4月5日(金)から1週間の上映ラインナップは、本作(93分)、『神探大戦』(100分)、『フォロウィング』(70分)となんとも魅力的。本作は無責任にはお勧めしにくく、1日で3本観られるスケジュールにはなっていないけど。



『オッペンハイマー』 2023年、アメリカ、3時間。を観た。
第二次世界大戦中。原子爆弾開発製造チームのリーダーであった物理学者J・ロバート・オッペンハイマー。ナチスの脅威を払い人類の未来のための科学を信じて原子爆弾の開発に成功し「原子爆弾の父」とも称賛された男は後の赤狩りの時代に核兵器による軍拡を否定したためスパイ行為が疑われる。

映画とは時間を描くものだ。と押井守監督も言っていた様な気がする。記憶違いかもしれないが確かにそうだと思う。時間を描くのに最適な表現方法と言えるのかもしれない。監督それぞれの時間の感覚が有りその表現も過去と現在、未来を行ったり来たりと自由に出来る。上映時間的には長過ぎても駄目だし短過ぎてもあんまり良くないと時間の制約は有ったりする。
岡本喜八監督はフィルムのコマ数でカットを割っていたという話も聞く。丁度いいビートが有るらしい。
クリストファー・ノーラン監督は時間を描く事について意識が高い映画監督だろうと思う。全く無意識な監督もいるだろうし。監督作品のほとんどに時間が関係している。本作の様な伝記作品も時代を遡るという意味でもそうだし、作品自体の時間軸も複雑でそこら辺が作品を難解にしているとも言え途中のケイシー・アフレックが出ていた所辺りで何がなんだか分からなくなりかけて危なかった。

本作を観て改めて原子爆弾についての知識が無いなと感じさせられた。それは原子力発電にも繋がるのだろう。
物理、化学についてちんぷんかんぷんだけど聞きかじりの知識と勝手な思い込みで解釈を試みると、物質は原子、分子の繋がりで出来ていて原子、分子レベルで見るとその繋がりは結構スカスカで間を通り抜ける事も可能。『アントマン』でもそんな事が言われていなかったっけか。
空気も酸素、二酸化炭素、窒素で構成されていて原子、分子のレベルでは固体の物質と同じと言える。人間に関して言えば常に体の中を色んな原子が通り抜けてたり留まったりしているのかも。
原子には原子核が有ってその原子核を何らかの手段(中性子がどうとか言っていた)によって爆発(核分裂?核融合?)させると繋がっている無数の原子同士が連鎖反応で爆発し、そしてそれが物質の巨大な爆発となる。という事なのだろうか。その核分裂を爆発させずに熱量エネルギーだけを得ようとするのが原子力エネルギーなのか。その原子核を爆発させるのに適しているのがウランやプルトニウムの放射性物質であって、なので巨大な爆発の後で放射能が飛散拡散してしまうのか。
その点で水素爆弾は水素を原料としているので爆発後に放射能は発生しないという事だけど、水素爆弾として爆発させるのにはとてつもない高熱が必要で、その高熱を生み出すのに原子力爆弾を使わなければならずれそのために1954年のアメリカの水爆実験で日本の漁船第五福竜丸乗組員の方が被曝という事態になったという事。しかし、まだ原子爆弾が理論上のものだった時に大気への連鎖反応が起きたら世界が滅亡してしまうかも。という懸念も理論で押し返して実験に踏み切った。水素爆弾なんか爆発させるのが水素なんだからウランやプルトニウムと違って地球上には圧倒的に多いわけで、そっちの方がより連鎖反応の危険性が高かったんじゃないかとド素人は思う。それでも実験に踏み切ったのは東西冷戦による狂気なのか。
出発点は目の前に見えている様々な物体、物質はそもそも何で出来ているんだろう?という疑問だったんじゃないだろうか。突き詰めていって原子、分子にたどり着き原子力というエネルギーを生み出す事になる。
その純粋な探求心が国家間のイデオロギーの対立に利用され英雄と持ち上げるが、利用し尽くして意に沿わないものになったら非国民扱いされる。それを悲劇としてドラマチックに描くと日本人は反省が足りないと言うがじゃあ日本人は反省しているのかと問われたら反省する以前に忘れているか自分たちの都合のいいように解釈した感動映画が作られたりしている方が問題ではないかと思う。

光や音にも原子や分子が存在するのだろうか。現象だから無いのか。音は空気の振動で、なので宇宙空間には存在しない。光は何なんだろう?火とかも分からない。太陽は何故真空状態で燃えているのか?燃えてるんじゃなくて何か別の現象なのか。
クリストファー・ノーラン監督は時間にも原子や分子が存在するとか考えていそう。ただ無機質に流れて過ぎ去っていくものではなくて。それを映画として形の有るものに残しているのかも。
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