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一度も撃ってません、透明人間、ルパン三世カリオストロの城、ストーリー・オブ・マイライフ、コリーニ事件 [映画]

一度も撃ってませんを観た。
二冊の純文学小説を出版するがそれ以降数十年鳴かず飛ばずで今や老境の作家。ペンネームを使い実録風ハードボイルドノベルを出版社に売り込むが今の時代には合わないと相手にされず。しかしそこに書かれている事件の詳細は表沙汰にはなっていない実際に起きた事件に酷似しているため編集者から不気味がられていた。

池袋シネマ・ロサにて。

予告ではコメディタッチの印象を受けたが実際はハードボイルド要素の方が強かった。正直な所コメディだとちょっと不安だったのでハードボイルドで全然良かった。しかしなんで予告ではまるっきりコメディであるかのようにしたんだろうか。
とは言え本作に笑える所が全く無いかというとそういう事でもなく。特にあの人物の正体には笑うしかない。

現代はもうハードボイルドではいられない時代という事なのかも。ハードボイルドでいられた時代を生きた人たちもみんな後期高齢者となり、時代もそうだし己の肉体的にもハードボイルドには生きられなくなっていて。それでもどうにか無理してでもハードボイルドでいようとすると周りから見たら滑稽な事になってしまう。そんな姿が描かれている。
恐らく本作の人たちも若い頃には年寄りの事を笑ったりしていたのだろう。誰だってそうだと思う。しかしいつかは自分が笑われる方の立場になるわけで、それでも笑われても自分の生き方を貫くべきという事かもしれない。主人公は滑稽に見えてしまうかもしれないけどちゃんと貫いていた。



透明人間を観た。
DV男から必死の思いで逃げ出した女性。しかし男は最新テクノロジーを駆使して女性を執拗に追い詰める。

監督、脚本がリー・ワネルなので変わってて面白いだろうなと期待していたが、面白かったけど期待以上というほどではなかった。
主人公の親友の娘さんが大学進学の資金を貰った時の歓びの舞いが可愛くて面白かった。
その親友を演じたオルディス・ホッジがカッコ良かった。今までどんな映画に出ていたんだろうと調べてみるとダイ・ハード3(1995年)でサミュエル・L・ジャクソンに学校行かないとろくな人間にならんぞと説教される少年の一人だった。そしてダイ・ハード/ラスト・デイ(2013年)では別の役で出演。ダイ・ハードシリーズで異なる役で出演しているのはオルディス・ホッジただ一人なのだとか。

透明人間スーツは着てて暑苦しくないんだろうか。あれを長時間着ていられるというのも相当執念深い人物の様に思える。

エンドクレジットに流れる曲はジャンルで言うとなんのジャンルの音楽にになるんだろう?BGMか?
あの曲にもやっぱりメロディは当然有るんだろうけど、ロッキーとかインディ・ジョーンズの音楽の様にメロディを口ずさむ事はきっと自分には出来ない。
そういう曲はどうやって作曲するのだろう。どんな楽器を使っているのかもさっぱり分からないし。



ルパン三世 カリオストロの城を観た。
裏社会ではもはや伝説となっている偽札、通称ゴート札。その謎を暴こうとカリオストロ公国へと乗り込んだルパンと次元。着いて早々悪漢らに追われる花嫁衣裳姿の美少女を助け出そうとするが敢え無く失敗。目的を美少女の救出に変更する。

初TOHOシネマズ池袋にて。カリオストロの城を初めて映画館で観たのは初公開から5、6年経った頃の今は無きテアトルダイヤでのリバイバル上映だった。

TOHOシネマズ池袋の売りの一つの轟音上映だと思っていてそんな大した事無いなあと思っていたが実は轟音では無かった事が後で判明。こちらが勘違いしていたのが完全に悪い。轟音上映はスクリーン2での上映でしか体験出来ないらしい。
それはさておき宮崎駿監督のエンタメに振り切った作品はやっぱり面白い。いつからかテーマの方が大事になってしまったけど巨匠になったのだからそれはしょうがない。
押井守監督が激賞しているジブリ美術館でしか観る事の出来ない14分の短編めいとこねこバスはエンタメに振り切っている作品の様なので観てみたい。

今回観てこのアングルがカッコいいなあと思った。
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セルアニメでのエンタメ、つまりはアクションという事になるのだろうけど、アクションをするキャラクターを動かせばそれも良いアクションになるが、でももっとダイナミックな映像にするにはカメラを動かしたい。セルアニメでカメラを動かすという事はそのカットごとの背景が必要になるという事で。シーンを印象深くするためには大胆な構図とか緻密な描写が必要となる。そういった背景美術もスピード感のあるカット割りなら1秒とか2秒しか映らない事も有るわけで、この時計塔のカットも多分短かったと思う。
背景だけに限らず特撮のミニチュアセットだったり、CGの凝ったカットだったりを予算、制作時間、労力の事を度外視してそのシーンのためになら一瞬で使いきる事が出来る人が面白い映画を作れるのだろう。時には全く使わなかったり。凡人には勿体無くて出来ない。



ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語を観た。
アメリカ。南北戦争は終わり新しい時代を迎えようとしていたが男女格差、女性蔑視の風潮は一切変わる事は無かった。そんな時代に生きた四姉妹の物語。

ウィノナ・ライダーが次女ジョーを演じた1994年の若草物語は観た。ローリー役がクリスチャン・ベールだった事は全く憶えていなかった。テレビアニメシリーズ世界名作劇場の愛の若草物語(1987年)も部分的には観た様な気がする。なので本作に新鮮味は感じられず、観ないでもいいかとさえ思っていた。
結局観たけど、観て良かった。途中までは現在と過去が交錯してその対比が描かれていて、これはゴッドファーザーPARTⅡではないかと思った。現在と過去の対比を描いた作品は他にも有るだろうけどやっぱり真っ先に思い出すのはゴッドファーザーPARTⅡという事になってしまう。でも細かく言うと本作は現在と過去で同一人物の対比、ゴッドファーザーPARTⅡは現在のマイケルと過去のビトーの対比なので同じではないんだけどそれでもそう思えただけでも俄然興味が出てくる。
両作とも過去は無垢な幸せが有って、現在は時代や社会の厳しさに打ちのめされる。
そして未来は。という事になるがゴッドファーザーPARTⅡはマフィアの世界なのでマイケルは戻る事の出来ない修羅の道へと進まざるをえなくなる。一方で本作はというと幸福感に満ち溢れていた。一旦どん底に突き落としたからなのかもしれないがこれだけ幸福感に満ち溢れている映画もそう無いんではないかと思う。いい映画だった。

三女が足型を取って抜けなくなってしまった時の次女ジョーのリアクションがさすがシアーシャ・ローナンの面白さだった。



コリーニ事件を観た。
2001年、ドイツ。企業の社長が射殺され犯人はその場で逮捕。犯人の弁護に就いたのはキャリアはまだ3カ月の新人弁護士だったが殺された被害者が自分の恩人である事に気付いていなかった。

予告を目にする事なく法廷劇という事で観たがドイツでの話なのでナチスドイツ、第二次大戦の方に話が行くのかなあと思っていたらやっぱりそっちの方に行った。
射殺事件、そしてそれを裁く法廷の舞台は戦争当時では無く、そして主人公の母親がトルコ人、父親がドイツ人である事から正義を主張しやすいシチュエーションになっているのだろうと思う。両親がドイツ人だったら、年代的に戦争当事者ではなかったとしても正義よりも戦争責任の方が観る側としてどうしても気持ちがいってしまうだろうし。
主人公が戦争当時から戦後、そして現代にまで続く悪と戦っている間こちらは一人密かに眠気と戦っていた。何とか戦い抜いたと思っているがちょっと記憶があいまいな所は有る。
それでも本作で言われているのは、過去の罪はもう起こってしまった事だし変えようがないが、それが原因で現在まで続いている問題が有るのならそれはいつでも正しく変える事が出来る。という事なのだろうと思う。
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