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『ミラベルと魔法だらけの家』『ボス・ベイビー ファミリー・ミッション』『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』 [映画]

『ミラベルと魔法だらけの家』を観た。2021年、アメリカ、1時間39分。
コロンビアの人里離れた集落は不思議な家に住む特殊な能力を持った一族を中心に形成されていた。集落の平和は一族により保たれていて祖母の優しさと厳格さにより統率されていたが一族の終わりが予言されていてその兆候が現れ始めていた。

ここの所の配信オンリーになっている作品は観れていないがさすがはディズニーの技術的にはとてつもないハイレベルのミュージカルCGアニメ。本編前のアライグマ親子の物語もこちらは手描きなのか手描き風CGなのかよく分からないがやはりとてつもないハイレベル。
しかし、本作もそうだけどどうもディズニー作品には優等生的な印象が残ってしまう。観ている間はそれなりに面白かったりそうでもなかったりするのだけど。
決して優等生な作品が悪いわけでは無く、元々ディズニー作品が優等生的である事を作品のカラーとしていたわけで。しかし、最近のディズニーの場合企業イメージを考えての各所に配慮の上に作品が出来上がっているように思えてしまって、それは偏見なのかもしれないけどなんかちょっと素直になれない。
ディズニー内には配慮専門の部署も有ったりするんじゃないだろうか。というのもまた偏見。

予告で出てきたケルベロスは本編ではそんなに重要な使われ方では無かったのがそこだけを楽しみにしていた様なものなので残念。





『ボス・ベイビー ファミリー・ミッション』を観た。2021年、アメリカ、1時間47分。
夫婦と幼い姉妹二人のテンプルトン一家。専業主夫のティムは近頃長女タバサの心が自分から離れていくのを感じていた。それも成長と自分に言い聞かせていたがまだ赤ん坊の次女ティナがその原因はタバサの通うどんぐり学校に有ると言い、ティムの弟テッドを呼び寄せどんぐり学校への潜入捜査を二人に言い渡す。

シリーズ2作目。前作を観直さないでも大丈夫だろうと甘く見ていたが自分の記憶力の衰えも甘く見過ぎていて失敗だった。
前作を観ている事が大前提の上で物語は出来ているので赤ちゃんの中身がおじさん。といった事くらいの記憶だけでは全く通用しない。ので、中盤辺りくらいまでの前作から続いているネタには全くついて行けず、そのため賑やかな、賑やか過ぎるくらいなドタバタコメディのノリにも今イチついて行けず。
しかし中盤を過ぎた辺りくらいからは本作におけるテーマが中心となって物語が進んでいくので賑やかなドタバタも楽しめて家族の絆にも感動したりして良い映画だった。
前作を観ていた方が最初から楽しめたはずなのでそれについてはやはり自分の失敗だった。

本作にもミュージカルシーンが有る。『ミラベル』の方はアニメーションならではの表現も有るがどちらかというと実写寄りな感じで、本作はアニメーションならではのイマジネーションが溢れていて、あくまで個人的な好みとして本作の方が良かった。

ジェフ・ゴールドブラムは声に特徴が有るけど声優としては上手いのかどうなのかちょっと判断出来ない。ひょっとすると浅野忠信さん的な感じなのかも。と思ったりもする。


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『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』を観た。2019年、イギリス=カナダ=ハンガリー=ドイツ、1時間53分。
1951年、イギリス。才能有るヴァイオリニストでハンガリーからの移民青年のドヴィドルが公にデビューするコンサート当日に失踪する。その35年後、兄弟同然として育ったマーティンが行方の手掛かりを偶然見付ける。

てっきり音楽ミステリー(その様なジャンルが存在するのか知らない)なんだろうと思い込んで観たが、音楽、楽器がミステリーの重要な要素にはなってはいるがミステリー、そしてドラマの核となるのは戦争と信仰だった。
日本人、特に自分からしてみると欧米の人達の神への信仰心は想像を遥かに超えるものが有る。常に神の存在を意識していて、そして万物全てが神に繋がっている。
ドヴィドルが一度捨てた信仰を取り戻すのも神が起こした奇蹟を信じての事で、自分なんかだとあれは神が起こしたのではなくて神を信じている人達の行動の単なる結果に思えてしまう。
そんなんだからもし神が存在するなら人間に戦争、争い事をさせなければいいのに。と思うし、それが出来ないのだから神は存在しないと思う。
でも神の存在を本当に信じている人からすれば人間が争い事を起こすのはそれは人間が悪いのであって、それを神に責任を押し付けるのは論外という事になるのかも。
これまでにも幾度も有ったそれぞれの神の存在を信じる信じないでの争い事もやはり論外という事でのあの結末なのだろう。

ドヴィドルとマーティンの関係は仲がいいのか悪いのか分からないのが独特で面白い。お互いが良い所も悪い所も隠さず曝け出している感じ。その関係性や個性の違いも二人の人生のドラマを作り上げている。
音楽家として天才のドヴィドルに対して天才と呼ばれるほどの才能には恵まれなかったマーティン。『アマデウス』でのモーツァルトとサリエリの様な関係性になってもおかしくは無いけど、そうならないのはマーティンの人の善さによる所が大きい。最後にマーティンのパートナー(妻?)から重大な告白が有るが、そこでそんな告白する?と自分なんかは思ってしまうが、マーティンの場合はそれも平常心で受け止められる。あそこまで行くと人が善いと言うよりお人好しとも言えなくも無い。
ドヴィドルが失踪した時もコンサートに自分が代役で出る。と主催者でもある父親に申し出て、恐らくドヴィドルとの才能の違いはマーティン自身も十分に分かっていたはずで仮に代役で演奏したとしても赤っ恥をかくのも承知の上で申し出るというのもなかなか出来る事では無く、人が善いとかお人好しを通り越した人間としての器のデカさがマーティンには有る。

ドヴィドル、マーティンの少年時代を演じていた二人の子役さん(12、3、4、5才といった感じなので大きな子役)が良くて青年期になるとその時代の俳優さんに交代になるのがちょっと残念だった。ヴァイオリンバトルの時も天才ヴァイオリニストを演じているだけあって堂々とした立ち姿でカッコ良かった。
その子役の少年は実際にヴァイオリニストだそうで演奏する姿が様になっているが、クライヴ・オーウェンの場合は顔だけすり替えたCG合成なのではないかと疑ってしまうほどに心は薄汚れている。
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