三島由紀夫VS東大全共闘、娘は戦場で生まれた、無敵のドラゴン、野性の呼び声 [映画]
三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実を観た。
1969年5月に行われた作家三島由紀夫と東大生の学生運動家たちとの討論会。
池袋シネマ・ロサにて。
討論の内容は分からない事の方が多かった。革命を起こして日本を変えようとした超インテリの東大生だが革命の熱情が一般大衆にまで届かなかったのは言ってる事が高尚過ぎて理解出来なかったという事も有るんじゃないだろうか。当時の学生運動を当事者以外はどの様に見て感じていたのだろう。
多分敵対視していたのは当時の与党自民党の政治家なのではないかと思う。その中で代表的な人物として田中角栄が思い浮かぶが、叩き上げの政治家田中角栄と超インテリの東大生、どちらが大衆にとって分かり易い存在であるかといえばまあこのぉそれは想像できる。
天皇主義者として知られていた三島由紀夫は討論会の1年後に自衛隊市谷駐屯地で自衛隊隊員に決起を呼び掛けその果てに割腹自決をする。
学生運動の人たちは暴力も辞さずで革命を目指し、三島由紀夫はそれを阻止するためにはやはり暴力も辞さずという姿勢。そんな両者だけどこの討論会では時に和やかなムードで言葉と言葉で意見をぶつけ合う。そこはお互いにインテリ同士なので相手の意見を理解出来るので討論が成立するのだろう。そういう人になりたかった。
両者お互いに運動の根本に有るのはアメリカに対しての日本の在り方という所なのではないだろうか。戦時中、敗戦、戦後を体験してきた三島由紀夫と戦争自体を知らない東大生とでは根本は同じでも進む方向が違う(多分学生たちは全てぶっ壊して一から作り直そうというのに対して、三島由紀夫はなんとか言葉や態度で説得し思い直させて軌道修正をしたかったんじゃなかったのか)のでお互いに理解出来る所と理解したくない所が有って。
それを埋め合わせるためにはやはり十分に話し合う事が大切なのだろうと思う。
娘は戦場で生まれたを観た。
アサド政権下で内戦中のシリア。大都市アレッポの支配を巡る政府軍と反政府組織の攻防は熾烈を極め多くの犠牲者を出していた。
ドキュメンタリー作品。内戦中の市民の状況を克明に記録する。
革命を望む者と阻止しようとする者が武力で衝突すればどういう事になるのかという事が映し出されている。老若男女関係無く犠牲者が多数出るという事で、それを覚悟の上でより良い未来を目指すのか、黙り込む事で命の危険は無いが抑圧され続ける道を選ぶのか。という所。
無敵のドラゴンを観た。
かつて竜を実際に目撃し竜のタトゥーを入れた香港警察の刑事。女性警察官を狙う殺人事件を捜査中に婚約者でもある同僚の女性刑事を目の前で連れ去られてしまう。
アクションスターに珍作は付き物と言っても過言ではないが、本作もその部類に入るだろうと思う。頓珍漢な話ながらマックス・チャンはいつも通りにイケメンでその落差が面白い。
ナレーションで物語が進められていくが誰目線のナレーションなのかイマイチ不明な所や、やたらと状況を説明する字幕が入る所も作品としてどうにかしようとしたけどどうにもならなかった感じが滲み出てしまって面白い。
サスペンスアクションを期待してしまう所だけど正にタイトルの無敵のドラゴンその通りの内容。タイトルに嘘偽りはなかった。
野性の呼び声を観た。
判事の家の飼い犬として自由に過ごしていたバック。アメリカ北部では過酷な環境下での移動運搬手段として犬ぞりが重宝され大型犬は高値で売買されていた。その日も判事家のパーティーで自由に振る舞ったバックだったがその挙げ句に運命を変える一大事が起こる。
内容的にはこれは犬が主役のダンス・ウィズ・ウルブスなんではないかと思ったが、むしろダンス・ウィズ・ウルブスの方が本作の原作から大きく影響を受けているという事なのだろうと思う。
パクりとかそういう事ではなくて文明社会に疲れたのなら野性に還ろうというのは昔も今も語り続けられるテーマでもあるし。
撮影監督はヤヌス・カミンスキー。珍しくスピルバーグ作品以外のでヤヌス・カミンスキー。スピルバーグ組の撮影が無かった時期なんだろうか。スピルバーグの新作ウェスト・サイド・ストーリーのリメイクではやはりヤヌス・カミンスキー。
1969年5月に行われた作家三島由紀夫と東大生の学生運動家たちとの討論会。
池袋シネマ・ロサにて。
討論の内容は分からない事の方が多かった。革命を起こして日本を変えようとした超インテリの東大生だが革命の熱情が一般大衆にまで届かなかったのは言ってる事が高尚過ぎて理解出来なかったという事も有るんじゃないだろうか。当時の学生運動を当事者以外はどの様に見て感じていたのだろう。
多分敵対視していたのは当時の与党自民党の政治家なのではないかと思う。その中で代表的な人物として田中角栄が思い浮かぶが、叩き上げの政治家田中角栄と超インテリの東大生、どちらが大衆にとって分かり易い存在であるかといえばまあこのぉそれは想像できる。
天皇主義者として知られていた三島由紀夫は討論会の1年後に自衛隊市谷駐屯地で自衛隊隊員に決起を呼び掛けその果てに割腹自決をする。
学生運動の人たちは暴力も辞さずで革命を目指し、三島由紀夫はそれを阻止するためにはやはり暴力も辞さずという姿勢。そんな両者だけどこの討論会では時に和やかなムードで言葉と言葉で意見をぶつけ合う。そこはお互いにインテリ同士なので相手の意見を理解出来るので討論が成立するのだろう。そういう人になりたかった。
両者お互いに運動の根本に有るのはアメリカに対しての日本の在り方という所なのではないだろうか。戦時中、敗戦、戦後を体験してきた三島由紀夫と戦争自体を知らない東大生とでは根本は同じでも進む方向が違う(多分学生たちは全てぶっ壊して一から作り直そうというのに対して、三島由紀夫はなんとか言葉や態度で説得し思い直させて軌道修正をしたかったんじゃなかったのか)のでお互いに理解出来る所と理解したくない所が有って。
それを埋め合わせるためにはやはり十分に話し合う事が大切なのだろうと思う。
娘は戦場で生まれたを観た。
アサド政権下で内戦中のシリア。大都市アレッポの支配を巡る政府軍と反政府組織の攻防は熾烈を極め多くの犠牲者を出していた。
ドキュメンタリー作品。内戦中の市民の状況を克明に記録する。
革命を望む者と阻止しようとする者が武力で衝突すればどういう事になるのかという事が映し出されている。老若男女関係無く犠牲者が多数出るという事で、それを覚悟の上でより良い未来を目指すのか、黙り込む事で命の危険は無いが抑圧され続ける道を選ぶのか。という所。
無敵のドラゴンを観た。
かつて竜を実際に目撃し竜のタトゥーを入れた香港警察の刑事。女性警察官を狙う殺人事件を捜査中に婚約者でもある同僚の女性刑事を目の前で連れ去られてしまう。
アクションスターに珍作は付き物と言っても過言ではないが、本作もその部類に入るだろうと思う。頓珍漢な話ながらマックス・チャンはいつも通りにイケメンでその落差が面白い。
ナレーションで物語が進められていくが誰目線のナレーションなのかイマイチ不明な所や、やたらと状況を説明する字幕が入る所も作品としてどうにかしようとしたけどどうにもならなかった感じが滲み出てしまって面白い。
サスペンスアクションを期待してしまう所だけど正にタイトルの無敵のドラゴンその通りの内容。タイトルに嘘偽りはなかった。
野性の呼び声を観た。
判事の家の飼い犬として自由に過ごしていたバック。アメリカ北部では過酷な環境下での移動運搬手段として犬ぞりが重宝され大型犬は高値で売買されていた。その日も判事家のパーティーで自由に振る舞ったバックだったがその挙げ句に運命を変える一大事が起こる。
内容的にはこれは犬が主役のダンス・ウィズ・ウルブスなんではないかと思ったが、むしろダンス・ウィズ・ウルブスの方が本作の原作から大きく影響を受けているという事なのだろうと思う。
パクりとかそういう事ではなくて文明社会に疲れたのなら野性に還ろうというのは昔も今も語り続けられるテーマでもあるし。
撮影監督はヤヌス・カミンスキー。珍しくスピルバーグ作品以外のでヤヌス・カミンスキー。スピルバーグ組の撮影が無かった時期なんだろうか。スピルバーグの新作ウェスト・サイド・ストーリーのリメイクではやはりヤヌス・カミンスキー。
2020-03-30 21:23
コメント(0)
サクサブーム
つい最近この動画見た時に面白いけど何してるのか分からなかった。どうやらSAX‐A‐BOOMというサックス型の楽器のおもちゃらしくて、テネイシャスDの定番ネタ(ネタ?)らしい。その歴史は10年以上続いているらしい。
2008年のサクサブーム
2008年のサクサブーム
2010年のサクサブーム
2012年のサクサブーム
2013年のサクサブーム
2018年のサクサブーム
2020年のサクサブーム
2020-03-28 11:45
コメント(0)
ハロルド・フォルターメイヤー [映画]
今日の午後ローはデッドフォール。
デッドフォールの音楽はハロルド・フォルターメイヤー。
ハロルド・フォルターメイヤーの代表作はやはりビバリーヒルズ・コップではないかと思う。
この曲も手掛けているらしい。
デッドフォールの音楽はハロルド・フォルターメイヤー。
ハロルド・フォルターメイヤーの代表作はやはりビバリーヒルズ・コップではないかと思う。
この曲も手掛けているらしい。
2020-03-25 12:47
コメント(0)
桜の季節
この時期聴きたくなるのはやはりこの歌
その流れでこの2曲も聴きたい
ところで、ところざわサクラタウンの建物はやはりインパクトがデカい。
1:50から富士山が見える。現地に行くと思ってる以上に大きく見えると思う。
その流れでこの2曲も聴きたい
ところで、ところざわサクラタウンの建物はやはりインパクトがデカい。
1:50から富士山が見える。現地に行くと思ってる以上に大きく見えると思う。
2020-03-24 20:44
コメント(0)
ぶりぶりざえもんグッズ
今年の映画での活躍が期待されるぶりぶりざえもん。グッズやゲーセンの景品も色々と出て来ている。
今年はドラえもん50周年、エヴァンゲリオンの新作公開予定とグッズ関係が色々大変。
映画キャンペーン
https://shinchan-movie.com/adventure/
今年はドラえもん50周年、エヴァンゲリオンの新作公開予定とグッズ関係が色々大変。
映画キャンペーン
https://shinchan-movie.com/adventure/
2020-03-22 07:31
コメント(0)
きょうのポストカード(フォックスキャッチャー) [映画のポストカード]
フォックスキャッチャー事件の裏側を観た。
アメリカの大富豪ジョン・デュポンが1996年に起こした事件の真相に迫るドキュメンタリー。2016年、1時間31分。
NETFLIXにて。
当時のアメリカのアマチュアレスリング選手が競技だけで生計を立てるのは困難でそのためにソビエトに世界一の座を奪われ続けていた。そこにスポンサーとしてジョン・デュポンが現れ資金を惜しみなく注ぎ込み実際に強化されたために絶大な力を持ってしまった。という所が事件が起きてしまった一因でそこにジョン・デュポンの生い立ちや人間性が重なり悲劇が起こる。
フォックスキャッチャーは2014年の作品。
映画化に際してはジョン・デュポンとレスリング選手のシュルツ兄弟に焦点が当てられていたが実際とはやや事情が異なるような感じだった。
フォックスキャッチャーは何か良くない事が起こりそうという空気が映画の中に充満していた所が良かった。その分観ていてしんどかったけど。
アメリカの大富豪ジョン・デュポンが1996年に起こした事件の真相に迫るドキュメンタリー。2016年、1時間31分。
NETFLIXにて。
当時のアメリカのアマチュアレスリング選手が競技だけで生計を立てるのは困難でそのためにソビエトに世界一の座を奪われ続けていた。そこにスポンサーとしてジョン・デュポンが現れ資金を惜しみなく注ぎ込み実際に強化されたために絶大な力を持ってしまった。という所が事件が起きてしまった一因でそこにジョン・デュポンの生い立ちや人間性が重なり悲劇が起こる。
フォックスキャッチャーは2014年の作品。
映画化に際してはジョン・デュポンとレスリング選手のシュルツ兄弟に焦点が当てられていたが実際とはやや事情が異なるような感じだった。
フォックスキャッチャーは何か良くない事が起こりそうという空気が映画の中に充満していた所が良かった。その分観ていてしんどかったけど。
2020-03-20 21:04
コメント(0)
淪落の人と屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ [映画]
淪落の人を観た。
香港。車椅子生活を送る男の介護人としてフィリピン人女性が雇われる。
タイトルの読みはりんらくのひと。淪落の意味はおちぶれる事、おちぶれて身を持ち崩す事とかなり辛辣。
屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカを観た。
1970年代ドイツに実在した連続殺人犯フリッツ・ホンカ。
二作品とも孤独な男性(完全に孤独というわけではない)が主人公で、創作と実話ベースという違いは有るけど善意と悪意両極端に分かれる作品だった。
淪落の人は善意が基本になっている話。フリッツ・ホンカは悪意にまみれている。
善意の方が心穏やかに観られるけど心のどこかで現実にはそんなに都合よくはいかないだろうと思ってしまう。
悪意の方は観ていて不快にも感じるがこれが人間の本性なんだろうなと納得も出来る。
思うに善意は端から見たら都合がいいと思えるくらいに、悪い言い方すればわざとらしいくらいでなければ善意を表面に出せなくて、一方で悪意は何も意識しないでも自然に湧き出てくるものなのではないだろうか。なので一般人は悪意が湧き出てこないように意識しないといけない。フリッツ・ホンカの場合酒が入るとたがが外れてしまって悪意が丸出しになってしまう。酒が入っていないと理性や罪悪感は有る。
二人は何が違うのかと言えば個人の人格や性質も有るが、時代や社会環境が人それぞれに与える影響も大きいのだろう。淪落の人の主人公がフリッツ・ホンカの置かれていた状況にいたとしたら人肉饅頭作ってしまうのかもしれないし。
香港。車椅子生活を送る男の介護人としてフィリピン人女性が雇われる。
タイトルの読みはりんらくのひと。淪落の意味はおちぶれる事、おちぶれて身を持ち崩す事とかなり辛辣。
屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカを観た。
1970年代ドイツに実在した連続殺人犯フリッツ・ホンカ。
二作品とも孤独な男性(完全に孤独というわけではない)が主人公で、創作と実話ベースという違いは有るけど善意と悪意両極端に分かれる作品だった。
淪落の人は善意が基本になっている話。フリッツ・ホンカは悪意にまみれている。
善意の方が心穏やかに観られるけど心のどこかで現実にはそんなに都合よくはいかないだろうと思ってしまう。
悪意の方は観ていて不快にも感じるがこれが人間の本性なんだろうなと納得も出来る。
思うに善意は端から見たら都合がいいと思えるくらいに、悪い言い方すればわざとらしいくらいでなければ善意を表面に出せなくて、一方で悪意は何も意識しないでも自然に湧き出てくるものなのではないだろうか。なので一般人は悪意が湧き出てこないように意識しないといけない。フリッツ・ホンカの場合酒が入るとたがが外れてしまって悪意が丸出しになってしまう。酒が入っていないと理性や罪悪感は有る。
二人は何が違うのかと言えば個人の人格や性質も有るが、時代や社会環境が人それぞれに与える影響も大きいのだろう。淪落の人の主人公がフリッツ・ホンカの置かれていた状況にいたとしたら人肉饅頭作ってしまうのかもしれないし。
2020-03-18 19:51
コメント(0)
きょうのポストカード(ワイルド・ワイルド・ウェスト) [映画のポストカード]
今日のBSプレミアム正午ちょっと前からの映画はワイルド・ワイルド・ウェスト
2020-03-15 06:20
コメント(0)