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ハニーボーイ、ドロステのはてで僕ら [映画]

バニーボーイを観た。
2005年、若手売れっ子俳優のオーティスは飲酒運転による交通事故を起こしてしまう。それまでにも問題行動を起こしてきたオーティスは更正施設に入所し父親と二人で過ごした10年前の少年時代と向き合う様に促される。

シャイア・ラブーフが自ら脚本を書いた自伝的映画。
実際に映画界で注目を集めたのは2005年のコンスタンティンからだろうか。それ以前はテレビ界の方で活躍していたらしいがそこら辺の事は全く知らない。
コンスタンティン以降は主演作もヒットし、そして話題作や大作映画への出演が続く。自動車事故を起こしたのはその頃の2008年。
そのブイブイ言わせてた頃は生意気そうな兄ちゃんの印象であまり良くは思っていなかった。
その頃は問題行動もそれほど表面化していなかったが心の問題は常に抱えていたという事だろうか。
成長したオーティスが起こす問題行動の原因は子供の頃の父親との関係にある。として、当時の事に向き合った結果、確かに父親に問題は有ったけどそれ以上に愛情にも溢れていた事に現在の自分が父親の立場や感情を理解出来るようになってから気付く。
問題の原因は父親にも有るけど、でもそれを一方的に責める事も出来ない。映画だからといってそんなに単純に解決出来ないし、したくない。という所なのか。複雑な心の内を吐き出す事がシャイア・ラブーフにとって大切だったのかも。



ドロステのはてで僕らを観た。
京都。喫茶店のオーナーは営業を終え雑居ビル2階にある自室へと戻る。すると室内のテレビモニターが勝手に映りその画面に2分先の自分が映っていた。

タイトルからは想像しづらいが日常SF映画。公開規模が小さいのが残念だけどこういった作品が作られる事自体が嬉しい。都内では下北沢トリウッドがヘッド館みたいだけどTOHO日比谷で観た。三番目の大きさのところが振り当てられていた。

内容の方はかなりややこしくて大枠ではどういった事だったのかは分かるし、70分の全編ほぼワンカットで撮られていて物凄く考えられて作られているのだろうなあという事も分かる(ある所でメイキングが見られる。撮影はワンカットではなかったが一つ一つのシーンは長回しで撮られているのでやっぱり大変そう)が細かい理屈はあまり理解出来ていない。
ある種のタイムトラベルとして現在と過去と未来の登場人物が同時に存在するが現在の人物を中心として話は進められるので、現在が何かしらの行動をしているその時過去と未来はどうなっているのかが気になってしまう。
2分先の未来を延々と映し出すモニターと向かい合っているもう一方のモニターには過去が延々と続いているのでは?とか考えるとタイムパラドックスで物語を作るのはやっぱり難しいなあと思い、この内容を藤子・F・不二雄先生が漫画で描いたとしたらもうちょっと違ったのかもと思っていた所、エピローグにF先生のSF(少し不思議)短編漫画へのリスペクトが有ってもうそれだけでこの映画を好きになる。出来ればエンドクレジットにも謝辞的な言葉が有ればもっと良かった。多分無かったはず。
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皇帝ペロ1世 [ペロ]

西暦20××年8月
「諸君!ついに我々の時代がやってきた!彼らブブブンゲの栄華の時は終わりを迎えようとしている。彼らとは長い時を信頼し合い互いを必要としていた。そうであったと私は信じている。しかし彼らに未来は無い!
彼らはあまりにも傲慢過ぎた。この星の資源を使い尽くそうとし、かけがえのない自然を破壊し、多くの生き物達、時に同族の命までも無惨に奪ってきた。我らにそれを止める手立ては無かった。とは言えただ傍観していた我々もその罪を我々の罪として粛々と受け止めなければならない。

ブブブンゲは我らの事を犬、犬コロ、ワン公、わんちゃん、イッヌなど勝手気ままに呼んでいたがその支配、そして呪縛から解き放たれる時が来た。我はペロ!そして諸君らもまたペロであるのだ!

罪深きブブブンゲ。しかし彼らは間もなくこの星から消え行く運命。その僅かな時間、我らの庇護の下に置く事を誰にも咎められる事は無いだろう。
か弱き者ブブブンゲ達が長年我らに投げつけていた言葉を我らも使う時が来た!そう!ステイホームと!」

その年は異常気象が続き夏の訪れも遅かったが夏の到来とともに厳しい暑さがやってきた。そしてあのウイルス。かつて支配者であったヒト、人類、今やペロ達がブブブンゲと呼ぶ我らをその座から引きずり落とし、ペロ達に知性を与えたあのウイルスが蔓延した年。
猛暑だったあの日の皇帝ペロ1世の初演説がペロ歴の始まりであった。我々の時代に渇望しながらもついぞ訪れなかった平和と秩序がペロ達の世界には溢れている。
その世界で我々は希少な生き物として完全にペロ達に守られている立場だ。しかし今でも我々とペロ達との間に信頼と友情は存在していると私は信じている。
それにしてもあの頃の様に自由に出歩きたい。その願望は常に付きまといついフラフラと外に出ていってしまいそうになる。そんな時必ずあの言葉がどこかから聞こえてきて我に返るのだ。
あの言葉、そう「ステイホーム!」と。

Carl Dick ヨークシャーテリア犬子犬8.5インチ、22 cm、ぬいぐるみ、柔らかいおもちゃ3138

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