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『クリーチャー・デザイナーズ ハリウッド特殊効果の魔術師たち』『ハケンアニメ!』『マタインディオス、聖なる村』『炎の少女チャーリー』 [映画]

『クリーチャー・デザイナーズ ハリウッド特殊効果の魔術師たち』を観た。2015年、フランス、1時間44分。
映画創成期から存在した特撮。その中でもクリーチャーを創り出す特殊造形分野で1970年代後半から頭角を現したスペシャリストたちへのインタビューで過去と現在が語られる。

インタビューを主にしたドキュメンタリー作品。インタビューを受けている人が二度三度登場してもその都度名前とどんな作品に関わっていたかのテロップとその日本語字幕が表示されるのがとても親切で、この人誰だっけ?とならずに良かった。
インタビューを主にしているとどうにも眠気に襲われてしまうが中盤辺りで1980年代、1990年代の慣れ親しんだ作品の事についての話になると興味深く観る事が出来る。
2015年製作なのでその当時の現在が語られる。2022年の現在とはまた大分状況は変わっているものと思われる。なんと言ってもコロナで。
コロナ以前に特撮業界で大異変となったのは1993年の『ジュラシック・パーク』の登場と大成功であるとの事で納得。観ている側からしたら当時はその大異変を単純に歓迎したけど業界の中には後々に死活問題となる人も出てくる。新しくて便利なものが現れれば古くて不便なものはあっさりと捨てられ、古くて不便なものでも利用価値のあるものだけは生き残れる。特撮と言われるものが段々と姿を消していく事を目の当たりにしながらその事に無頓着であったけど当事者の方々からの切実な話を聞くとなんとも物悲しい。この映画に出ている方たちは淘汰の中で生き残った方たちなのだろうけど。
そんな中で日本で2016年に特撮映画『シン・ゴジラ』が作られたが本作でインタビューを受けた人たちからはどの様に受け入れられたのだろう?

スペシャリストたちが創造したクリーチャーが実際の映画の中ではどの様に活躍したかは恐らく権利の関係だと思うがこの映画の中では見られない。各々が気になった作品をお金を払って観てみましょうという事か。

『ジュラシック・パーク』における大異変以前の予兆の中の一つの作品として『アビス』がそれなりに重要な作品として扱われているのが『アビス』大好きです人間としては嬉しい。『アビス』が脚光を浴びる事など滅多にと言うか殆んど無いので。



『ハケンアニメ!』を観た。2022年、日本、2時間8分。
土曜日夕方5時の地上波放送枠で天才監督と新人監督のシリーズアニメ作品がぶつかる。

今や一大産業となった日本のアニメーション業界では主にビジネス面で成功するかどうかで作品の良し悪しを決められてしまって世知辛い。アニメーションの製作現場とか全く知らないので昔から実際にそういうものなのかもしれない。
同日同時刻放送の2本のシリーズアニメの仕掛けられた対決構造でこの映画の物語は成り立っている。勝ち負けが作品作りのモチベーションになっているのはいかがなものかと思うが、それを煽っているのは一部の関係者と大部分は視聴者であって、両作品に関わっている制作者たちはどちらもが良いアニメを作ろうとしているだけだ。という結果に行き着いているのだろうと思う。
その良いアニメとは視聴者を感動させる作品。としている所がひねくれ者としては感動させるのが目的で作られている物語とかキャラクターがいいとは思えないのでどちらの作品も架空のものではあるけど観たいとは思わなかった。天才監督の作品の方は最終的に感動(感動とは違うか)よりも面白さを選んだのかもしれない。
その感動目的で作られているという事はこの映画自体にも当てはまっているし、今の日本映画全体だけに限らない日本で作られるフィクション作品全体に当てはまっている様に思える。

アニメーションの制作において何よりも大切なのは気持ち。という感じになっている様に思えた。現実には大分前から多くの人の気持ちの搾取で成り立たせている制作環境が問題視されていたと思うが。
作品に奉仕する気持ちも大切なのだろうけど、それと同じくらいにプロフェッショナルな技術も大切なのではないかと思う。そのプロフェッショナルなもの作りをエンターテインメント映画として見せる事には殆んど関心が払われていなかったのが残念。人の描いた絵、静止した絵の連続で生き生きと動き出し、それに背景や音、カメラアングル、カメラアクションが加わって一つのシーンを作り出し物語となっていく様を見せるのはエンターテインメントとして立派に成り立つと思うのだけど。

内容の方は置いといて映画としては良く出来ていたと思う。アニメ制作現場を舞台とした働く大人たち(中にはガキっぽい人もいる。アニメに限らずどこの業界にも存在するのだろう)の映画として。



『マタインディオス、聖なる村』を観た。2018年、ペルー、1時間17分。
ペルー山岳地帯の集落。亡くなった者たちを弔うため守護聖人サンティアゴを讃える祭礼が行われようとしていた。

守護聖人を讃えるのに花を飾り、ケープをあつらえ、守護聖人への讃歌を贈る。その花を摘むのには先ず土を耕す事から始めて、ケープは羊毛を刈る事から、讃歌は練習の段階から全身全霊を込められる。守護聖人を讃え敬うためにはそこまでする事が必要とされ村人たちはなんの疑いもなく奉仕している様に思えた。しかし実際には若いと言うか幼い次の世代にはその精神は受け継がれてはいなかったという事なのか。
ペルーという国についてあまりにも無知で、本作を観た後で知ったのはスペインに侵略、征服され、キリスト教への信仰もそこから始まったという事みたい。サンティアゴはスペインの守護聖人であるらしい。
それ以前には土着の宗教が信仰されていて、特に山岳地帯では山岳信仰が大昔から根付いていたのだろう。征服された後も生活に深く根付いたその土着の宗教は残り続けキリスト教への信仰と絡み合いながら現在へと至っていたが、外来の押し付けられた信仰からペルーという国独自の信仰に戻っていく時が来たと、それは信仰だけの事ではなくて国自体の在り方としても。という事になるのかもしれない。
時代設定がいつなのかは分からないが集落にはデジタル化の波はまだ一切来ていない様に描かれる。しかし撮影にはデジタルのカメラやそれなりに最新の設備が有ったのではないかと想像する。フィルムでも撮影出来たのだろうけどデジタルならより身軽に撮影に臨めるだろうから。村人が望んでいたのかは分からないがそれによってこの集落が世界とつながる。ペルーだけではなくデジタルで世界とつながった時に追随して一緒にデジタルに進んでいくのか、それとも昔からの生活を守りながらデジタルも利用してその国独自の道を進んでいくのか。その選択でこれからの世界は変わっていくのかもしれない。



『炎の少女チャーリー』を観た。2022年、アメリカ、1時間35分。
国の秘密機関による薬物実験で特殊な能力が増幅された男女は秘密機関から逃れアメリカ全土を転々としながら二人の間に生まれた娘を育てていた。

スティーブン・キング原作で1984年にドリュー・バリモア主演の邦題『炎の少女チャーリー』のリブート作品。
その1984年版は昔にレンタルビデオで観た記憶は有る。内容はほとんど覚えていない。
スティーブン・キングの小説は多くの作品が同じ世界観の中に存在しているらしいので本作も多分そうなのかなと思う。他のスティーブン・キング原作で映画化された作品とのつながりは無い様にも思えたが詳しい人が観ればどこかでつながっているのかもしれない。
チャーリーの強力で特殊な能力はマーベルやDCのスーパーヒーローが持つものと同じと言っていいと思うけど本作にはマーベルやDCの映画作品の様な派手さは無い。それがスティーブン・キングが創り出した世界の中でのスーパーヒーローの在り方なのかも。

秘密機関と言っても組織としては公に存在していて組織の略称(アルファベット三文字のでDなんとか)が組織の建物の壁面にに大きく書かれていた。
公に存在はしていて表立っては何をしているのか公表しているが裏では何か怪しい事をしているという事での秘密機関なのだろう。

音楽がジョン・カーペンター監督なのはオープニングのクレジットで知った。息子さんと一緒に(他にもう一人)音楽を担当していて親子共演。1984年版では企画の当初はジョン・カーペンターが監督をする予定だったが降板した。という縁が有り、後にスティーブン・キング原作の『クリスティーン』を監督する。という縁も有る。 『クリスティーン』は未見。
二人並んでシンセサイザーを弾いているのがカーペンター親子。カーペンターズ。

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