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『最後まで行く』『モリコーネ 映画が恋した音楽家』 [映画]

『最後まで行く』を観た。2023年、日本、1時間58分。
年末の愛知県。刑事の工藤は危篤の母親の元に向かおうとするが人影のない雨の夜道で人をはね殺してしまう。刑事課ぐるみの裏金疑惑が週刊紙にスクープされその尻拭いを押し付けられて焦っていた工藤は死体を車のトランクに入れ隠蔽を図ろうとする。

韓国映画で邦題が同名の『最後まで行く』のリメイク作品。
タイトルは一緒で話も序盤はほぼ同じだけど途中から大きく変わる。日本映画ならではの感動作では無い所は良かったがただ最後はどういう事なのかよく分からなかった。最後はどこに行ったんだろう?
クライマックスシーンは墓場であの墓場は実際に存在するのだろうか?存在するにしてもそんな所でアクションをやっていいものなのか。お祓いはしたのか。実際には存在しなくてあのスケールで作り込んだのだとしたら日本映画界もやる時はやるなあとその労力に尊敬する。
で、クライマックスシーンを墓場にしたのは話の流れという事も有るだろうけどセルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウェスタン『夕陽のガンマン』、そして善玉(ではないかもしれない)、悪玉、卑劣漢の三人の男の物語として『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』からの影響が有ったりするのだろうか?そこを踏まえればラストの意味も理解出来るのか。『夕陽のガンマン』も『続・夕陽のガンマン』もあんまり詳しくは覚えていない。

主演の岡田准一さんの顔芸が面白かった。本作はコメディにも分類されているよう。
岡田さんが分かりやすい顔芸とすると綾野剛さんはそれに対して細かい顔芸をしていてそれもさすがだった。

7月には台湾映画『一秒先の彼女』のリメイク作品が『一秒先の彼』として公開される。
監督が山下敦弘監督で男の方の主演は岡田将生さん。『天然コケッコー』以来16年振りの一緒のお仕事だとか。
オリジナルとは男女逆転されているという事でどんな感じになるのか。








『モリコーネ 映画が恋した音楽家』2022年、イタリア、2時間37分。

新文芸坐でエンニオ・モリコーネが音楽監督をした作品を特集上映される中で本作も上映された。
ロードショーの時は観ようと思いながら先延ばしにしていたら上映が終わってしまった。上映時間がちょっと長いなと思ったのも先延ばしにしていた理由。
クリント・イーストウッドもインタビューに出ているという事でその姿も見ておきたかった。
しかしながら途中で寝た。去年は居眠りしたのが二桁になり過去最高を記録したけど今年はまだ一本も無かった。この日は本作でなくてもどんな映画でも寝てたかもしれない体調ではあった事は言い訳か。
一回寝て、丁度イーストウッドが出ているマカロニ・ウェスタンの所で目が覚めてそこからまたしばらくしたら寝て、『アンタッチャブル』の時には起きていたので一応満足はしている。そこから最後までは観た。映画館で観て二度寝したのも初めてで、二度寝しながら最後まで観たのも自分としては珍しい。

居眠りしておきながら言える事ではないかもしれないが、エンニオ・モリコーネは映画音楽に対してそこまでの思い入れは無かった様なのが残念ではあった。
でも確かに音楽をちゃんと勉強をしてその理論をしっかりと理解していたモリコーネからすると、純粋音楽という言葉も使われていた音楽のための音楽に対して映画音楽はあくまで映画の一部に過ぎず、自分が意図していた様に使われない事や使われるシーンに合うような音楽も作らなければならなくて、そしてその仕事を賞賛されたり批難されたりしたらそう手離しに映画音楽を心から純粋に愛する事も出来ずに複雑な心境だったんだろうかなと思う。
自分としてもモリコーネの音楽には素晴らしい音楽が有る一方で、作曲をした全てを聴いたわけではないけど似た様な音楽も有るなあとは思っていた。その理由は仕事量の多さに有る。との様な事も本作の中で触れられていた。あの映画のあの音楽みたいなのをという発注も有ったみたいだからそれは似るのも仕方ないのか。
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