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きょうのポストカード(エイリアン2 その2) [映画のポストカード]

希望の灯りを観た。
旧東ドイツ、会員制倉庫型小売店で働く人々。

フォークリフトフィーチャー映画。かつてここまでフォークリフトがフィーチャーされた映画が有っただろうか。強いて言うならエイリアン2のパワーローダー。
エイリアン2 (2).JPG


主人公が寡黙なせいもあってか静かな映画。静か過ぎるかもしれないが、チャプター毎の構成でちょっと意外なチャプターが有ってその意外性が良かった。

東ドイツ時代から職種は変わっても同じ場所で働き続けている人がいて、東ドイツというとあまりいいイメージは無いがそこで実際に生活していた人にとってはいい思い出もやっぱり有る。東西ドイツの統一と共に社会が激変した事でかつての思い出が残る職場は辛い場所でもあって。
一方で東西分裂の時代を知らない若者にとって職場は新しい人生の始まりや人との出会いのある再生の場所でも有る。
この映画の中では単なる職場ではなくドイツという国の過去と現在と未来が集約された場所になっているのだろうと思う。
ドイツというとナチス、ヒトラーという事になり今現在もまだなお次々とその類の作品が世界各国で作られている。決して忘れてはいけない事実という事なのは分かる。でも断罪するだけではなく、その先に進んでいるわけだからそっちにも目を向ける映画が有っていいのではないかと思う。その点で本作はいい映画だった。

主人公と同僚の女性の年の差は女性の方が12歳年上という設定らしい。そんな風には思わずに観ていたがそうだと知った上で観ると何か見方も変わるのだろうか。ふたりのお互いの思いだとか。

都内ではル・シネマ独占ロードショーだったので千葉県柏のキネマ旬報シアターにて。
いつ以来?だろうと思ったら6年前のセデック・バレ一部、二部以来だった。
やはりいい映画館だった。
今や貴重な全席自由席。入場前に並ぶのもそんなにないのでちょっと緊張した。
同じく全席自由席の有楽町スバル座は今年の10月中旬に閉館。




麻雀放浪記2020を観た。
1945年から2020年にタイムスリップしてきた男。

博打に魅せられた人物。例え身を滅ぼしても他人に迷惑が及んでも博打を打ち続けてしまう。身内からしてみればただ迷惑なだけだと思うけど、それが博打だとしてもボロボロになっても一つの事をやり続けるのにもある種のロマンみたいなのが有るのだろう。それが表されていた主人公とチンチロリンのジイさんとのやり取りのシーンは良かった。
1945年の終戦直後の廃墟と化した東京で明るい未来が描けない状況というのが博打にのめり込む一つの要因となっている。時代は変わって2020年の日本は物は溢れてはいるが社会としてその実情は終戦直後の廃墟と同然かそれ以下になってしまっているのではないのか。という事をこの映画で仰りたいのだろうと思う。その廃墟同然の未来社会の描写があまりよろしく無いように思えた。ただの悪ふざけに見えてしまう。未来社会(現代社会の事でもあるのだろう)がまるで悪ふざけの様だと仰りたいと解釈できなくもないが。

池袋シネマ・ロサにて。
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